1.リビングの中央にテレビモニターがおかれ、PVが流れている。私たちはそのPVを凝視することになる。とりあえず動いているものはモニター中の映像だけなのだし、何か隠されたメッセージやテーマがあるようにも思えるからだ。しかしどうして、テレビが置かれている家具の佇まいや背後の壁に注がれている光を見ないのだろう。■事物の有り様を、あらかじめ定められたように、定められたまま見てしまうこと。そこから解放される契機をこの映画は様々に用意する。もちろん私たちが主役の姿を追い続けることはいたしかたないことだ。しかし、例えば森を彷徨う男を覆い隠すように現れる木の幹。川に続く斜面の素晴らしさ、滝の音。時間と空間の交錯。■画面を中心化する制度的思考から解き放たれ、私たちの見たことのない何かがそこに立ち上ってくる。その圧倒的な何かの中に、誰ともコミュニケーションのとれない孤独な一人の男がいる。電話帳に彼のアドレスはなく、やがて暗闇が彼の姿を隠していく。■探す男たちの声をあとにして、彼は家を出、湖畔に向かう。二度繰り返されるそのショットで、カメラは同じように彼の姿をフォローする。彼がフレームアウトすると、スクリーンには何の変哲もない雑草だけがある。風がふく、草花が揺れ、やがて夜になろうとする光がざわめく、その音が心地よく響く。未知の風景が現出する、これは素晴らしい。