1.ある「意図」を映画に放り込む、ということを先端まで突き詰めていくと結局こういう形になるんじゃないかと思う。それこそシネマスコープで撮ったということにも意味を感じてしまうぐらい。で、そこから「そういえば「エレファント」はスタンダードだったな」みたいな。こういう、どんな解釈も可能な、含みだらけ(実は何もないかもしれないという含みも入れて)の映画はあんまり好きじゃないが、この映画は、作った監督自体が可能性以上に不可能性をジェリーという同じ名前の人物に感じているみたいで、この作品に正面から付き合うには自分も「ジェリって」みるしかないな、という気分にさせる。感情移入じゃなくて自分を砂漠に置くという感じ。で、こういう感覚って映画館の中でないと生じにくいし、最初に書いたようにシネスコだからテレビだとめっちゃ画面が小さくなる。鑑賞という方法では多分死ぬほど退屈に違いない。真っ暗な映画館の中で、幾人かの観客と一緒にこの映画を共有する。そのことの重要性を想起させるだけでもこの映画は貴重な存在なのだが、この映画の配給会社(アメリカの)はつぶれたそうだ。で、日本でも実際に映画館で上映するにしてもどうせ大きいところではやんないから単館上映の小さな小屋で掛かるのがせいぜい(しかもレイトショー)。そりゃあ儲かんないだろうし、だからソフト化して回収できる分は、とか思ってるんだろうけど、これ、儲ける為の映画じゃないし。いやほんとに、環境映画のコーナーに置いてあげるべきだと思う。今度この映画が日本で上映されるのはガス・バン・サントが死んだ時かな・・・あーあ。まあ、「商売」としては完全に間違えた映画です。堪らなく良い映画だと思うんだけども。