ブッチャー・ボーイのシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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ブッチャー・ボーイ

[ブッチャーボーイ]
The Butcher Boy
1997年アイルランド上映時間:110分
平均点:7.20 / 10(Review 20人) (点数分布表示)
ドラマコメディ
新規登録(不明)【シネマレビュー管理人】さん
タイトル情報更新(2009-02-25)【8bit】さん
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監督ニール・ジョーダン
キャストスティーヴン・レイ(男優)
フィオナ・ショウ(女優)
イアン・ハート(男優)
ブレンダン・グリーソン(男優)
脚本ニール・ジョーダン
撮影エイドリアン・ビドル
製作総指揮ニール・ジョーダン
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5.《ネタバレ》 いやー驚きました。
ニール・ジョーダンがこんなすごいものを作っていたなんて。
それなのに、完全無視されてきたために、この存在すら知りませんでした。
が、なぜ「完全無視」されてきたのかそれは見れば一目瞭然で、上映すらできない国がほとんどであることは容易に想像できます。特にアメリカなんか絶対に無理です。
まあ、承知のうえで作ったのでしょうし、コレで賞を取ろうとかゼニを稼ごうとかいうことは全然考えていないに違いなく、いい意味でも悪い意味でも作り手が「満足」する作品であるわけです。
そこんとこを考えてみたいのだが、「いい意味」で言うなら、こんなに妥協のない徹底した完璧な作品は本当に珍しいわけで、似たような意味で思い浮かぶのは「ブリキの太鼓」くらいのものでしょう。
どこにも妥協がない、観客に対するサービスなどハナから頭にない、そして、だからお話として素晴らしい。
いっぽう、この作品における自己満足の結果もたらされた「悪い意味」とはなんでしょうか。
それは映画として「愛されない」ということです。
フツーの観客はこの作品の登場人物の誰をも愛することはできませんし、自分を重ね合わせる対象も居ませんし、アイルランドの寒くてビンボーな風景に愛着を覚えることも困難です。百歩譲って言うなら現地の人々は多少違うでしょう。しかし、「オラが国のムービー」として自慢する対象には絶対にならない。
せっかく作った映画が、ほとんどの国で上映もしてもらえず、無視されて消えていくのです。
私はこの作品が素晴らしいということは全く認めますが、全然愛せません。
もう一度見たいとも、思わない。
フランシーが通行税を取ろうと夫人を脅す場面で、もう、ドン引きになってしまったのです。
フランシーはハードな家庭に育ったため同年代と比べて心身ともに「強靭」すぎて、強靭すぎることが、すなわちくじけることができないことが、その後の顛末となった理由なわけです。
そして、最終的にジョーに拒絶させることで作り手は「物語としての妥協のなさ」を達成しましたが、同時に「観客から愛される要素」もきれいに消し去ったのでした。
そして、私は「映画」とはやはり観客に愛されてナンボ…という気持ちが消せない。
観客に媚びず、なおかつ愛され、妥協もしない、というのが最高ですが…求めすぎ?
パブロン中毒さん [CS・衛星(字幕)] 10点(2010-04-11 00:56:12)
4.《ネタバレ》 アル中の父親と、情緒不安定な母親。唯一の親友。そしてきらびやかに広がる涯てしない夢想。それが主人公の少年フランシーにとっての全てだ。ニール・ジョーダン監督が描くのは、少年のささやかなそんな幸福さえ容赦なく一つ一つ奪いとっていくこの世界の非情さだ。彼の人生はただただ失うことの連続だ。「故障した」母を、ろくでなしの父を、ささやかな家を、噴水の広場を、そしてついにはただ一人の友だちすらも。形ある確かなものを一つのこらず失った彼がかろうじて持つのは、涯てのない夢想、それきりだ。そんなたった一つ彼が持ちうる夢想がしかし孤独と絶望に次第に蝕まれ、あたかも捨て犬が野犬と化すかのようにその内在する獰猛さを顕わにしていくさまは、あまりに悲しい。彼はこの無慈悲な世界に屠殺されまいと決死で逃げまどう豚だ。そんな彼が今にも頭上に振り下ろされるその鉄鎚を回避すべく選ぶのは、まるで悪意と欺瞞にみちみちた屠殺者=世界そのものとして君臨するようなニュージェント夫人その人への反撃である。それは自らこそがおぞましい屠殺者(ブッチャー・ボーイ)となることを意味する。ここに至り我々が知るのは、映画の冒頭で描かれる滑稽なほど包帯でグルグル巻きにされたフランシーの姿が、まさに満身創痍となった彼の魂そのものなのだということだ。彼をそのまま現実の少年殺人者とシンクロさせるのは、野暮というものだろう。赤頭巾をベースに『狼の血族』を徹底して寓話として完結させたジョーダンらしく、本作もまたあくまで悪夢的寓話として昇華されているからだ。ジョーダンはまるで泥水を濾し砂金を見つけ出すように、ひどくグロテスクな模様の濾紙の上にこの孤独な少年の粉々の魂をただひたすらに、掬いとる。その砂金は観る者によっては毒々しく、あるいは時に美しく光り、そして胸を刺すだろう。やがて大人となったフランシー。全てを失い孤独なまま、あるのは変わらず夢想ばかりだ。けれど少年の悪夢とはうって変わったその金色の光景は雄弁に彼の心の有り様を物語る。夢の中の聖母マリアが彼にさし出す一輪の花。それは奪われるばかりの人生でフランシーが初めてその手にする、愛だ。フランシーの犯した罪を理解することは出来ない。けれどこれだけは言える。その美しい花の意味は、その大切な意味だけは、フランシーにも私にも変わりなく等しいのだと。そしてその花を携えて私たちは生きていくのだと。
BOWWOWさん [ビデオ(字幕)] 10点(2009-09-26 10:26:06)
3.《ネタバレ》 ひとが「狂って」いく過程をバーチャル体験できる貴重な映画。というと乱暴かもしれませんが、だれでも、こんなふうにちょっとずつ何かがずれていったり拡大していったりするだけなのかもしれないと思う。でも全体を通してフシギなほど暗さがなく、あとあじも悪くない。おすすめです。
ETNAさん 10点(2003-12-24 18:19:24)
2.元気いっぱいのブッチャー君、大活躍の一本!人ん家でウンチをするシーンが印象的です。
マチューさん 10点(2003-02-11 23:24:23)
1.本作を見て何か月経ったか分からないけど、その感動及び衝撃は未だまったく色あせません。あえて例えを持ち出すならキューブリックとサリンジャーの間にある少なくはない溝を見事に跳躍して見せた、とでも表現すれば良いのでしょうか?とにかく役者(特にフランシー役の少年はスゴイ)、演出(かくも陰惨な内容をどこかコミカルに仕上げる手腕はスゴイ)、音楽(ハワイアン風にアレンジされた三文オペラのテーマを挿入するセンスがスゴイ)、映像(アイルランド特有のどこか淀みながらも張り詰めた空気感と緑に彩られた風景の美しさがスゴイ)等々、映画を構成するものがかくも自分の感性にピタリと符合することも珍しく、ニール・ジョーダン監督の才能には改めて感嘆しました。本作は日本では劇場未公開なんだけど、その理由は当時少年による刺殺事件が多発していたからだそうで・・・でも、こんな時代だからこそ、なぜ少年が凶行に走るかということを考えさせてくれる本作がとても重要になってくるんじゃないのかな。なお、マリア様はシニード・オコナーが演じています。
ダイさん 10点(2001-07-31 00:01:17)
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【点数情報】

Review人数 20人
平均点数 7.20点
000.00%
100.00%
200.00%
3315.00%
415.00%
515.00%
6210.00%
7210.00%
8420.00%
9210.00%
10525.00%

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