1.《ネタバレ》 もう、美しかったです。「若草物語」が美質の塊のような原作であることに加えて、役者陣、風景、衣装、何もかもが美しい。わたしなんぞは素敵な四姉妹が連れ立って隣家に食事を運ぶシーンだけでその尊さに涙止まらず、折しもウィズコロナ下での鑑賞ゆえマスクがハンカチ代わりになるという、湿り気のある体験になりました。
従来の作品群と大きく変えてきたのは時間軸を前後させる脚本。これまた巧い。何度も現在と過去を行きつ戻りつしながら、ジョー目線に偏らずメグやエイミーの心情もこれまでにないほどの丁寧さで描きます。特に「お利口さん」のイメージが強かった長女メグについては彼女の小さな見栄や羞恥心まで描くことで、どのメグ像よりも立体的で人間性がよく伝わる造形となりました。
姉妹の脇を固めるベテランも皆役の解釈が正しく圧倒的な仕事を見せます。賢母のローラ・リニー、封建的考えの叔母M・ストリープ、少ない出番ながら印象大のC・クーパー。しかし特筆すべきはティモシー・シャラメでしょう。これまでこんなに鮮烈にローリーを演じた役者がいただろうか。若草物語といえば四姉妹のお話、であったのが今作は「ティモシー・シャラメの」と枕詞がついても過言でないくらいの存在感であります。
この人は「君の名前で僕を呼んで」でも見せたように、身悶えするほどの恋情を演じたら天下一品。ジョーに告白する丘のシーンは切なく激しく、彼の心がざくざく切れる痛みまで伝わり、映画史における告白シーンでも屈指の場面といえるでしょう。彼の表情を捉えるカメラも、距離や角度が完璧です。ティモシーの発露するフェロモン量はただ事でなく、世界中でやられる女子が続出するのも納得ですねえ。
ラストはちょっと驚きました。ここでようやく邦題の意味するところが分かるのですが。監督は原作者オルコットの考えを最大限に尊重したのだそうな。
編集者と対するジョーは突然オルコット女史になり、それまでの物語は以降は(数分程度ですが)フィクション扱いとなって展開するんですよね。目線の急激な転換にわたしは大いにまごついてしまって、咀嚼するのに時間がかかりました。なんというウルトラC的な力技でしょうか。とはいえ現実のオルコット女史の幸福は製本過程の美しく丁寧な職人技の描写で伝わりますし、フィクション側のマーチ家の人々もハッピーエンドです。監督の原作&原作者へのリスペクトを感じます。