8.映画の初めの方で、主人公の男の子マルセリーノが、道ばたで架空の友だち「マニュエル」と遊ぶシーン。“マニュエル、それはね…”とか、“マニュエル、ほら…”とか言いながら独りで遊ぶそのマルセリーノの姿は、あまりにも無邪気で、無垢で、愛しくて、そして悲しくて、もう、涙なくしては見られなかった…。最後に見てからもう10年以上は経っているはずなのに、いまだこの映画(から受けた感動)はありありと鮮明に覚えている。それはきっと、この映画が、キャメラだの、構図だの、カット割りだのといったものにとらわれることなく、ただ「小さな奇蹟」をあるがままに物語ろうとした、その“てらいのない「純粋さ」”ゆえじゃないでしょうか。そんな眼差しの中でなら、たとえ屋根裏のキリスト像がマルセリーノの“相手”をしてあげるために動きだそうとも、ぼくたち観客は素直に納得させられてしまう。もはや宗教的な意図を越えて、このひとりぼっちの幼い男の子のために彼(キリスト)は“復活”したのだと納得させられる。そのために、この子が神の国へと召されることになっても、ひとりの「天使」がふたたび天上へと帰っていったのだと、たとえキリスト教とは何の関係もないぼくたちですら、素直に心打たれ、祝福できるのでしょう…。芸術であるとか、娯楽であるとかいったこと以上に、「映画」というメディアは、時に“この世で最も美しい何か”を現出するという「奇蹟」を実現してみせる。それを《神の顕現(エピファニー)》と言いうるのなら、ここにはまさしく「神」が宿っている。…にしても、「7歳までは神のうち」という箴言は、洋の東西を問わないんですね…。 【やましんの巻】さん 10点(2004-03-05 12:56:53) (良:3票) |
7.もう随分前に観た映画ですが、「おはようマルセリーノ」の曲は今も私のハートで流れています。宗教映画にありがちなマルセリーノの奇跡は、若かった私にとって遠くで起こった御伽噺のような、軽い気持ちで鑑賞していました。しかし、数年前に訪れたポルトガルのファティマで、数々の奇跡の物語を聞いていると、信じる心を持っていることが人生でもっとも大切な宝なのだと感じました。今では、マルセリーノの奇跡は、信じる心という抽象的なものを映像化した、世にも美しい物語だと思っています。 【ソフィーの洗濯物】さん 10点(2004-02-19 18:00:48) (良:2票) |
6.珠玉の名作…という言葉がぴったりの、胸に染み入る人間愛を描いた作品。この映画は手づくり感に満ち溢れており、つくり手の手の温もり、優しい眼差しなどをこれ程感じさせてくれる作品はそうないでしょう。ただ少し視点を変えて見ると、冒頭とラストの少女のシーンにもあるようにゾッとする怖さを描いた民話ともいえると思います。思い出すたびについ“マルセリーノの歌”を口ずさみ、涙腺がゆるんでしまう。やはりマルセリーノ(カルヴォ少年)が神様と言葉をかわし、ラストにつながるシーンまでが最高に美しく感動的。きっと今もスペインのどこかの村で、民話“パンとワインのマルセリーノ”が語り継がれているかも知れませんね。キラキラと輝く真珠のような名作に、文句なしの10点満点。※《追記:ネタバレ》ところで、なぜ神様はマルセリーノを昇天させたのか? 余りにも酷ではないかという意見もあるようですが、私なりの解釈をしたく思います。物語の途中、マルセリーノはサソリに刺されます。実は、この時点でマルセリーノは死んでいたわけなんですよね。しかし神様は死なすには早過ぎるし、まだその時期ではないと判断して特別に生かしてくれたんですよね。神様がマルセリーノに大きくなったら神父になりたいか、と尋ねるシーンがあります。それでもマルセリーノはかたくなにママに会いたいというだけです。もともと無い命、それも良かろうということで昇天させたわけなんですよね。十人十色の受け取り方が出来る典型的な作品ですね。 【光りやまねこ】さん 10点(2003-07-19 23:10:04) (良:2票) |
5.《ネタバレ》 ♪聞き覚えのある哀しいメロディー、主題歌だったんですぇ、、今頃気づきました。。荷車が出てくる中盤以降はもう、無宗教のこんな私のどこからこんなに涙が溢れ出てくるのかわからんくらい泣けました。彼だけを抱擁してくれる「友と大男」はいたが、一番逢いたい人が空想でさえも存在しなかった、、もうたまりません。飢えたものに与え、弱きものを助ける、人と交わり愛する・・私が忘れてしまってることばかりです、心を入れ替えて出直します。12人の僧侶は「月」のことを指してるのかしら?? //モノクロのスペイン語ということで敬遠してました、黒猫クロマティ様他のレビュワーさんが薦めて下さいました、ほんとにありがとうございます。 【かーすけ】さん 10点(2004-04-24 20:46:01) (良:1票) |
4.これはもう、涙を搾り取られた作品でした。初見は中学生のときだったと思います。あの人はあんなところに縛られて可哀想、おなかがすいているのじゃないだろうか、人にはママという人がいることを知り、ママに会うことが望みとなる、マルセリーノのそういった子どもらしさ、純粋さがたまらなくいじらしいの。 私はキリスト教徒ではありませんが、この奇跡の物語は素直に受け取れました。あのラストシーンは生涯忘れないでしょうね。 【envy】さん [地上波(吹替)] 10点(2004-04-06 01:09:37) (良:1票) |
3.子供の頃TVで見て以来、常に私の好きな映画ランキングのトップに位置する作品。一体何度繰り返しこの映画を見ただろうか。見る度に心が洗われる気がします。ラストのシーンはいつ見ても号泣してしまうのですが、神父達の悲しみに共感すると同時にマルセリーノには「憧憬」のようなものを感じます。この辺には多分に自分の中の宗教的な見解が影響しているのかもしれません。エリック・サティの音楽と古いモノクロ作品特有の光と影が、なにやら夢で見た世界のように思え心にしみます。 【黒猫クロマティ】さん 10点(2003-06-18 12:44:43) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 市場に積まれたリンゴの山の中程からマルセリーノがひとつを掴んだせいでリンゴの山が総崩れに、そして驚いた家畜の牛たちが暴れ出して市場全体がドミノ効果のようにめちゃくちゃになるシーンを何十年も昔、子供の頃に見た時には見過ごしていました。そして、周囲の大人達に冷たくされた寂しさの中でマルセリーノと屋根裏の痩せたおじさんとの交流が始まるのですが、それは子供心にただただ不気味にしか感じられませんでした。 今、大人として鑑賞してもやはり不気味さは拭えません。中南米系のカトリック教徒は奇跡を信じて例えば涙を流したことのある彫刻みたいなものを拝んだりしますが、カルチャーの違いかわたしには到底理解できません。劇中のフランス兵の帽子の形からナポレオン時代(19世紀前半)以降の物語だと推測できますが、マルセリーノの死因は奇跡ではなく心臓麻痺とかじゃなかったんでしょうか?まあ、今なら明らかにもなるし話題にもなるそういったことは不問に付して神様の意思といった宗教がらみの要因だけを問題にするとしても、12人の父親よりも1人の母親のほうがいいというマルセリーノの願いがいとも簡単に叶えられるのは、市場の騒動の件で一時的に冷淡になっていたとはいえ、マルセリーノを一生懸命育ててきた修道士さん達にとってはあまりにも不公平です。 でも鑑賞後にわたしは「人は皆、理由があって生まれ、理由があって死ぬ。」というある宗教家の言葉を思い出しました。乳幼児のうちに天に召される者は周囲の人間に何かを教えて去っていくのだそうです。マルセリーノが修道士達に何を教えたのか、宗教の違いを超えて考えてみてはどうでしょうか? 【かわまり】さん [DVD(吹替)] 10点(2015-06-08 00:02:25) |
1.マルセリーノの歌がこの映画のものだったなんて衝撃。マルセリーノの無垢な心、屋根裏のキリスト像にパンやぶどう酒を持って行き、笑顔で差し出すあの表情が忘れられない。このような話が歴史を経て、カトリックの聖人信仰へとつながっていくのは感慨深い。 【Michael.K】さん [ビデオ(字幕)] 10点(2007-01-23 22:47:57) |