15.この映画を初めて観たのはいつの頃だったろうか。
おそらく、中学校の3年生、「映画」を自分の“趣味”として一人で観始め、アプローチしやすいハリウッドの娯楽大作から少しその視界を広げ始めた頃に観たような記憶がある。
もうすぐに高校生になる。自分自身が「大人」になっていくということをようやく意識し始めた時期だったとも思う。
「こんな映画があるのか」と思った。
まだまだ子供で、知識も見聞も無かった僕は、この映画が描き出す「異世界」に戸惑った。
“戸惑い”は同時に“魅惑”となり、初めて観た世界に引き込まれた。
「岩井俊二」という固有名詞を知ったのも、この時だったと思う。
以来僕は、この映像作家が生み出す映画世界の虜になり、ひたすら憧れた。
幾度も観直しているとは思うが、また数年ぶりに観直して、初見時と同じくらいのインパクトを携えたままこの映画を観終えた。「感動」したと言って良い。
ある種の“説得力”さえあれば、どんな世界でも創り出すことが出来るのが「映画」という表現だと思う。
あざとく特異な世界を創り出すということではなくて、世の中の殆どの映画がフィクションを描いている以上、殆どの映画監督が「異世界」を創り出そうとしていることは間違いないことだろう。
その独自の世界観を、揺るがない価値観と、飛躍的な独創性で創り出すという点において、岩井俊二という人は優れ、その顕著な結果が「円都」という異世界であった。
娼婦のグリコが唄い、流氓王のリョウ・リャンキが暗躍するその世界は、明らかに「非現実(ファンタジー)」であるが、観客はその境界線を見失う。