3.《ネタバレ》 この作品がテレビ初放送された時(1984年)、事前に「美人女子プロレスラーの話」だと知って「どうせエロい男性目線で撮った映画なんだろう」と観る前から決めつけ、結局は観なかった。だが、ピーター・フォークは大好きなのでいつかは観ようと思いながら40年近く経てようやくDVDで観賞した。
ご存知ロバート・アルドリッチ監督の遺作である。ドサ回りを続ける、芽の出ない女子プロレスラーのタッグチーム「カリフォルニア・ドールズ」と二人を支える中年マネージャーが一攫千金を夢見て七転八起を続けていくサクセスストーリーである。
フォーク演じるハリーは狡猾で行動力もあるが、肝心のところでツキに見放される。ドールズも容姿はそこそこ良いが、プロレス的な技術やセンスは未熟でなかなか買い手がつかない。それでも夢をあきらめないハリーはがむしゃらに奔走してビッグイベントへの出場のチャンスをものにする。
女子プロレスというショービジネスの世界で地べたをはいずり回りながら栄光の座へ向かって必死にもがいていく3人の姿には、底辺に生きる者の逞しさと図太さを看取できる。といってもフォークはじめ3人が陽性で我が身を呪うような場面もないので、洒落たコメディとして十分堪能できる。
その半面で、米国における女子プロレスラーの位置づけが現在よりもだいぶ低い時代であること、ハリ―が口達者なのは移民一世だった父親の処世術の影響であること、チャンピオンチームとそのマネージャーが有色人種であり、白人に対して敵愾心を抱いていることなど、当世の米国社会の抱える問題にも目配りしているのが、やはりアルドリッチである。
フォークはコロンボ警部とはひと味もふた味も違う軽妙洒脱な芝居で引き付け、勝負師としての「漢っぷり」も素敵である。ただドールズに関していえば、興行師に枕営業したり、あろうことかハリーと「男女」の関係になったりと積極的で一途な性格がうかがえるアイリスに比べると、モーリーの人物像の掘り下げが不足ではある。
本作を「スポ根映画」と評する向きがあるが、『ロッキー』のように血の滲むような特訓や稽古の場面はまるでなく、スポ根特有の「便所の100ワット」的暑苦しさは皆無である。その辺りも本作の基軸が「人間ドラマ」にあることの反映かもしれない。
だが、ドールズ役の二人は相当にプロレスの練習に取り組んだに違いない。試合の場面は彼女たちの体を張ったパフォーマンス(吹き替えは少しあるかもしれないが)迫力十分である。特にクライマックスのタイトルマッチが出色。彼女たちの練習の成果として技術とセンスが飛躍的な向上をみせ、実力的にも二人は立派にチャンピオンの器にまで成長するのである。フィニッシュがかつて対戦した日本人選手から盗んだ回転エビ固め(しかも二人同時に決めるルチャリブレ風!)というプロレスファンをニヤリとさせる展開も心憎い。
そして、セクシーな二人のコスチューム(むしろ今日以上にエロい。しかもまだハイレグブーム到来前)といい、まさかのポロリ付きの泥んこマッチといい、冒頭で述べたエロ要素は健全な装いで(?)しっかり盛り込まれている。テレビ初放送時の1984年というと、まだお茶の間で家族が一台のテレビを囲んで一家団欒、という時代だが、さすがに本作を家族揃ってブラウン管で観賞するのは気まずさ100%である。
ともあれ、そうした部分も含めた多様なエンターテインメント性に溢れているというべきか、何遍観ても手に汗握りながら面白く観られる珠玉の逸品をアルドリッチは最後に届けてくれた。