16.凄い良い映画でした。まずこの映画が出来たこと自体が凄い。wikiを見ると、監督は「資料を集める際に日本軍兵士もアメリカ軍兵士と変わらない事がわかった」ということが切っ掛けで、この映画を作ったのだとか。ここからがこの映画の凄いところで、最初に思った「日本兵もアメリカ兵も同じだ」というこの簡単な一言を伝えるためだけに、2時間超えの映画を完成させてしまうことです。「映画をテーマにそって作るなんて普通でしょ」っつたらまあそうなんですけど、多くの関係者の思惑や意見が(よくも悪くも)介入してくるであろう状態で、監督が最初に感じたインスピレーションを最後まで大事に守れているのはやはり凄いと思うんです。そして出来上がった映画は、そのインスピレーションを見事に描ききっていると思います。「アメリカ人が日本人側の戦争映画を作るのってどうなの?」とか、「戦闘の熾烈さ、悲惨さが描けていない」という意見も、分からなくはないんですが(日米共に映画以上のえげつない戦い方をしてますし)、そもそもそういう質の映画ではないと思えば個人的には腑に落ちます。今まで自分は戦争映画を見るとき、そもそも戦争を経験せず悲惨さすら知らないのに「評価」を下すことにひっかかりがありました。けれどこの映画は、そんなことは関係ない。どの国の人間だろうが、どの時代を生きていようが、自分自身の身近なものとして考えることができる映画でした(それも、難しい言葉じゃなくて、一言で言い表せるような、一見単純なテーマをです。)これが「反戦」や「悲惨な戦争を後世に伝える」というような漠然としたテーマであったなら、こういう作品は出来なかったんじゃないでしょうか。 【ゆうろう】さん [DVD(字幕)] 10点(2011-08-30 23:22:28) |
15. 太平洋戦争について書かれたドキュメンタリーに接すると、キスカ作戦のような稀な例を除けば、たいてい一週間はどうしようもなく暗い抑鬱状態におちこんでしまう。この国のかつての軍上層部の、あまりに不合理な指導ぶりに......。これまで、物量を誇るアメリカと戦争を始めたのがまちがい、ということばかり言われてきたような気がするけれども、同じやるにしても、もうちょっとやりようがあったはずだ、と考えさせられ、その理不尽な戦術のもとに、まさに地獄のような苦しみのうちに死んでいった兵士たちを思うと、政治家の靖国参拝ていどのことで済まされては、とうていやりきれない気がする。この国ははたして心底変わったといえるのだろうか? 司馬遼太郎はこの時代のことを書こうとすると、「内臓が腐って死ぬ」と言ったが、いちいち資料にあたらなければならない史伝小説家にとっては、あながち誇張とも思われない。けれども本当は、「坂の上の雲」をめざすような昇り調子の時代だけでなく、この時代をこそ書くべきではなかったのか。内臓を腐らせながらそうでもしないと、われわれの戦後は真に終わりそうもない......。 そんなことを思わすのにこの映画は十分であり、これに比べると、この頃の日本映画の太平洋戦争ものは、兵士の闘う心情の純真さを描くことに偏りすぎている。日本映画にも昔、『日本のいちばん長い日』のような秀作があり、軍内部の対立、軍の愚かさなど、するどく問うものもあった。しかし今日、このような映画がアメリカ映画人によってはじめて制作されたということには、制作者のあっぱれさと、かえりみて日本映画のふがいなさを言わないわけにはいかない。実際の硫黄島決戦はこんなものでなく、もっと悲惨だったのだろうが、それはドキュメンタリーに求めるべき筋合いのものだ。 【goro】さん [DVD(字幕なし「原語」)] 10点(2007-08-23 08:39:21) (良:6票) |
14.《ネタバレ》 イーストウッドの映画が面白いと思えるかどうかは、結局、そのテーマについての価値判断を彼と共有できるかどうかで極端に変わってしまうようです。・・・・私は、「ミスティック~」も「ミリオンダラー~」も嫌いでした。家族や人生などについての彼のカウボーイ的考えに共感できなかったため、イーストウッド流のドラマトゥルギーで悲劇仕立てに語られてしまうと、嫌悪感が刺激されてしまうからです。・・・・・・硫黄島二作品では、国家や戦争についての、彼の、西部カウボーイ的反国家主義に基づく考え方に共感できる部分があります。そうなると、彼の悲劇的ドラマトゥルギーは、非常に素晴らしいものに感じられます。・・・・だんだんと洞窟の中の兵士達にシンパサイズし始め、戦争の息苦しさ、恐怖が実感できるようです。・・・・獅童(=悪)を、生き残らせるのは、善なるもの(二宮)だけが生き残るのでは、不合理なこの世の姿とかけ離れてしまうからでしょう。・・・・・渡辺謙が、サムライとして死ぬ特権も剥奪される最後も劇的ですね。・・・・ただ謙さんの演技は最近どうも平板に感じられてしまいます。本当に理知的な軍人だったら、最後に万歳アタックなんかせず、部下には投降を促すのではないかなぁ。栗林さんの駄目な部分も、ジョニクロ飲んでるだけじゃなくて、表情、雰囲気で出して貰わないと、と思うのでした。・・・・・とはいえ、この二作品が戦争映画の不朽の名作になるだろうことは疑いを得ないと思いました。 【王の七つの森】さん [DVD(邦画)] 10点(2007-06-16 12:00:56) |
13.細かい部分は違うんだけれども、純粋に面白かったので十点。あえてメッセージ性を排しているので、意見は人それぞれなんだけど、これで「硫黄島」について知ってくれれば、それでいいと思う。今まで歴史の教科書の片隅(うちの学校では教科書ではなく、歴史の資料集の片隅に、小さな写真とわずかな文だけのっていました。南京虐殺や三光作戦の方が記述は多かったです)に、一行か二行ほどの文章でしか書かれていなかった史実を、多くの人に知ってもらうことに意味があると思います。できれば、栗林中将が書いた家族への手紙(ウィキペディアにありますが)なんかも、見てもらえたらいいと思います。映画よりもその手紙の方に感動してしまいました。「戦争の責任」、「戦争を忘れない」、「歴史を反省」とかよく声高に叫ばれ、教科書にもそんな言葉が踊っていますが、それならなぜ「硫黄島」は教科書の隅の隅に埋もれているのでしょうか? 日本軍の非行が三ページ近く面積をとっているのに、「硫黄島」は一ページすらページを振り当ててもらえないのか? 不思議で仕方ありません。 【ローリング@ストーン】さん [DVD(邦画)] 10点(2007-05-11 19:37:34) (良:1票) |
12.《ネタバレ》 イーストウッド監督の戦争の本質に近づこうとする良心が感じられる。ひとつは、徹底した偏らない視点だ。敵と味方、善と悪、規律と堕落といった対立軸を日米のどちらのサイドでも描き、戦争映画に不可欠であり、また、イーストウッド自身が得意としていたナショナリズムをいとも簡単に切り捨てている。色々な角度から見なければ物事の本質を見失うという真理をそのまま示しているようだ。もうひとつが、兵士として戦った人間を描いていることだ。最前線に送り込まれた兵士達をそれぞれの視点から、現在の我々と同じ感覚で捉えている。戦争という異常な状況に身を置く兵士達の精神と人生を、国家間の対立や戦略とは距離をおいて丁寧に、客観的に。60年前に硫黄島にいた多くの若者達と、今を生きる我々と、何が違っているのか。同じではないか。君たちは歴史を知っているのか、彼らを忘れていないか、という問いかけが重く心に響く傑作だ。 【パセリセージ】さん [映画館(字幕)] 10点(2007-02-10 00:43:22) (良:1票) |
11.この国の首相が言う「美しい国」。時代に飲み込まれた純粋な登場人物達、ここで描かれた彼らの持つ国への情と平面的に結びつく物ではないことをただただ願う。 |
10.《ネタバレ》 『硫黄島からの手紙』のなかで、負傷して日本軍の捕虜になったアメリカ兵の青年が登場する。彼は手厚い看護を受けたものの、結局息を引き取る。けれど、彼が持っていた母親からの手紙の内容に、今までアメリカ人を“鬼畜”だと信じ込んできた日本兵たちは、「彼らも俺たちと同じじゃないか…」と愕然とするんである。 この場面は、本作のなかでもとりわけ感動的で、美しい。その時、日本兵たちは、目の前のアメリカ人青年をただ殺すべき〈敵〉ではなく、はじめて〈人間〉として認識した。と同時に、ぼくたち観客もまた気づかされるのだ。この映画そのものが、『父親たちの星条旗』にあってまったく「顔」を与えられなかった日本兵たちを、ふたたび個々の〈人間〉として見出すものであったこと。そのために、どしてもこれが「二部作」であらねばならなかったことを。 『星条旗』が、「憎悪と敵意」「政治」という「戦争の本質」こそを描くものだったとするなら、本作は、常にそういった「戦争」のなかで見失われてしまう〈人間〉を回復する試みである、といって良いかもしれない。・・・戦場にあって、ただお互いを殺し・殺されるだけの兵士たち。「憎悪と敵意」の対象でしかなかった〈敵〉同士を、イーストウッドの本作は、あらためて〈人間〉として描こうとする。それこそが、戦争の“消耗品”として歴史に埋もれ、顧みられることのない彼らを、あくまで一個の人間として追悼することになるからだ。だから、「戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在だ」というイーストウッド自身の言葉は、決して彼の「右翼的」な信条=心情から出たものではあるまい。むしろ彼は、現在に至るまで時の為政者(ブッシュ!)たちが「自分たちは正義の側で、悪と戦う」と唱え、戦争を肯定することへの断固としたアンチテーゼとして、兵士たちを1人1人〈個人〉として「戦争」から“帰還”させようとしているのだから。 この、全編のほとんどを日本人の役者ばかりが登場する「日本(語)映画」を、アメリカのジャーナリズムが高く評価するのも、おそらくその一点においてであるだろう。・・・これが、監督イーストウッドの最高傑作かどうかは分からない(し、どうでもいい)。けれど、戦争の「本質」を描き、兵士たちをふたたび〈人間〉の側に取り戻そうとする「硫黄島二部作」は、現代最高の「(戦争)映画」であること。それだけは間違いない。 【やましんの巻】さん [映画館(字幕)] 10点(2007-01-18 11:58:55) (良:4票) |
9.この国を守るために亡くなっていかれた英霊の方々に、ただただ感謝の想いでいっぱいになりました。 でも、なんで米国は、この作品を作ったのだろう・・・ そして、なんで日本は、この作品を作れないのだろう・・・ さて、靖国神社に参拝させて頂くか! 【憲玉】さん [映画館(字幕)] 10点(2007-01-07 00:34:12) |
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8.かなりの衝撃を受けました。硫黄島~を見た翌日、まだ上映している映画館を探して、「父親たちの星条旗」も観ました。それから2日後、もう一回この映画を観にいきました。イーストウッドは本当に凄い映画を撮ったと思います。この映画からは反戦的なメッセージよりももっと別の印象を受けました。登場人物の喋り方とかが現代っぽいから、その分感情移入できたと思います。がっちがちに当時のディテールにこだわる必要もないかと。(記録的にはいいけど、若い人見ないでしょ・・。)この映画は戦争を知らない世代に戦争とかそういう事に興味を持つきっかけになると思うので。ニノが演じた西郷なんて、考え方もろうちらと同じ感じじゃないですか。上の人には絶対従わないと思うけど、でも生きて家族の下に帰りたい、死にたくないって。昔の人も、やっぱり同じこと考えてたのかもなぁ・・って。でも今のうちらがあの状況に立っても、潔い覚悟とかって出来ないんだろうなぁ・・とか思いました。平和になったよね。たとえ負けても、彼らに戦ってもらって平和にしてもらったよね。俳優陣もすっごく良かったと思います。謙さんが地盤固めて他の人もみんな演技良くって安心して観てられました。この映画でニノと伊原さんのファンになりました。かっこよかった。更に音楽も良かったんです・・(;→д←)。サントラ買いました。イーストウッドの息子さん作曲(゚Д゚!!凄い親子・・。私の祖母の弟さんはこの島で亡くなりました。なので民間人はこの島にはいけないんですが、祖母と父は自衛隊の飛行機で数回この島に上陸した事があります。父曰く、本当に小さい島らしいんです。でも未だに大砲とか色々戦争の残骸が残っていたらしくて、当時の戦闘の激しさがうかがえたそうです。沢山の人に映画館で観て欲しい映画です。私が2006年に観た映画でベストです。今の日本を、日本のために戦死した人々が見たらどう思うんだろう。なんかもう色々考えされられまくって、この映画に感謝してます。 【ネフェルタリ】さん [映画館(字幕)] 10点(2007-01-06 23:24:25) (良:2票) |
7.これほどまでに辛く、悲しい戦争映画があったでしょうか?映画が終わった後、そして今でも、終盤のシーンを思い起こすと涙腺が緩みます。軍国主義的思想の下、自決を選んだ兵士、家族の元に帰りたいという思いで生きようとした兵士、日本の未来を思い、最後まであきらめずに戦った栗林忠道、この映画が他の悲壮映画と一線を画しているのは、”一般市民”ではなく、”戦った兵士達”の悲劇を描いている点だと思います。また、ハリウッド映画でありながら忠実に日本を描けている点も忘れてはいけません。第二次世界大戦から60年を経た現在、映画の中でいくら戦争の悲惨さを説いても、戦争はなくなっていません。しかし僕らはこうして考えることができます。金銭面をある程度無視してこの映画を作ってくれた製作陣には心から感謝します。 【maemae】さん [映画館(字幕)] 10点(2007-01-02 00:14:54) |
6.この映画は戦争映画ではない。ヒューマンドラマだ。 クリント・イーストウッドが描きたかったのは戦争ではなく、戦争という状態における人間だと思う。 だからこそ、派手な戦闘シーンはないし、戦略についても多くを省いた。 そして、その描き方は見事に成功している。 この映画を見たほとんどの人間がこう感じたと思う。 「見ていて、つらい。」 それは、この映画が受け手にあまりに鮮やかな恐怖と悲しみを与えるからだ。 さらに受け手が日本人の場合、自分とたった二、三親等しか離れていない日本人が、国のため、家族のために、このような状態の中で戦い、命を落としたという事実が恐怖と悲しみを増幅させ、そして徹底的に人にフォーカスした描き方が、この映画を追体験から”原体験”に昇華させる。 私はこの映画を見ていて、涙が止まらなかった。それは悲しいという感情だけではなく、言葉にできない、何か他のものがこみあげてきたからだったように思う。 私は戦争には反対だ。 だがたった数十年前に、死を賭してこの国を守ろうとした人間達がいたことを、絶対に、絶対に忘れてはならないと思った。 また、イーストウッド自身が「この映画は邦画」と言っていたが、まさに邦画だった。 この題材を使っても、今の日本映画界ではまともな映画は撮れないのだろう。 日本人の代わりにこの素晴らしい映画を撮ってくれたイーストウッド監督にありがとうと言いたい。 |
5.今観て来たてで書いてます。 猛烈に感動しています。 映画館に人が少なかった事を不思議に感じました。 もう何人(なにじん)とか関係無いですね。 これを作った人達に猛烈に感動と賞賛です。なのでこれは批評ではなく賛辞です。 今の日本人全員に観てもらいたい。作品はけっして商業的な狙いは無いと私は思います。なのでこれから観る人はそういう穿った心は捨てて観てもらいたいです。 もうどこがどうのこうのでは無く、今の日本人がどのような犠牲により今があるのかをこれによって感じて欲しい。無論それで戦争の全てが判るわけじゃないですが、根本はお互いを理解する。共感をする。という行為が戦争を回避させる事につながるという事がひしひしと伝わりました。先人たちの犠牲を後世が理解しないのでは何もかもが意味が無くなってしまいます。この映画を作ってくれた人の為にもその意味を理解してゆきたいと思います。ほんとうにこの映画を作ってくれてありがとうという気持ちです。 二宮君がこれを日本人は学ぶべきと言っていたのが良く判った。どこにもイーストウッド色やスピルバーグ色は無いですが、そういう色をつけずに作った彼らの心に感動しています。全編に流れるメインテーマの音楽がいい。台詞も日本人に違和感が無い。でもそういう事をどうでも良く感じさせる作品意図が全てにおいて勝ると私は思います。 今の平和がどうやって築かれたのかをこれに触れてその一端を見たような思いです。 なのでそれを知るのは後世の人の義務と思います。 【森のpoohさん】さん [映画館(字幕)] 10点(2006-12-27 01:10:34) (良:1票) |
4.予告編を観て「これってひょっとして“右”っぽい作品なんだろうか?」と懸念を抱いていたのだが、観てみたらなんかもぉ、そーゆーのは吹っ飛んでしまった。確かにそういう文脈で捉える事も可能なのだけれど、例えば「パッチギ!」が(しつこくてゴメン)単なる“左”映画でないのと全く同じ意味でこれは“右”ではない。ってか、右とか左とかこだわってるのがバカバカしくなる。この作品は決して戦争を美化するものではなく、(狭い意味での)“愛国心”を鼓舞する類の作品でもない。もし自分があの時代、あの戦場に兵士の一人として存在していたらどうだったろう?劣悪な環境、死はほぼ確実、逃げ場はない―いやがおうにも「死」を意識せざるを得ない。どうやって残り少ない「生」を生きるか、どうすれば自分という存在、行動に意義や価値が見出せるか、ぶっちゃけ、どうすれば「納得の出来る死」を迎えることが出来るか(そういう意味でこの作品は、例えば「死ぬまでにしたい10のこと」のような「不治の病モノ」にも通じるものがあるかもしれない)・・・そんな極限状態でそれぞれが「祖国のため」、「天皇陛下の御為」、或いは「家族のため」といった「想い」を内に秘め(勿論「生きて虜囚の辱めを受けず」と自死を選ぶ者もいる。ああいう状況では、「死」はむしろ甘美なものだったかもしれない、とすら思う)、精一杯生きようとする。・・・何か文が支離滅裂になってきた。正直、まだ自分はこの作品を「映画」として冷静に捉えることが出来てない。自分にとってこの作品は「体験」でした。 【ぐるぐる】さん [映画館(字幕)] 10点(2006-12-22 17:51:09) |
3.けなすところが全く見つからない。戦争映画から爽快感を全く抜いて、悲壮感だけを全面的に押し出した結果、とてつもなく素晴らしい映画に仕上がった。しかもその悲壮感の押し出し方が全然わざとらしくない。純粋に戦争の悲惨さを画面から伝えている。なおかつ、実はこの映画は具体的な台詞による「反戦」のメッセージは皆無だ。しかし、画面からしっかりとそのメッセージが伝わってくる。これが本当の意味での映画なのではなかろうか。それにしても、この映画、本当に外国人が作ったのだろうか?それさえも疑いたくなるほど、日本の心情をよく描き出している。それにしても、「ローレライ」や「男たちの大和」でもとても描けなかった「靖国」やら「天皇万歳」やらをキチンと描いたクリント・イーストウッドの姿勢には、しっかりとこの映画に対する真摯な姿勢が感じられる。私は昨今の靖国問題に対するコメントは控えるが、この作品がわが国が抱えている周辺情勢の解決に一役買うことが出来るのであれば、なお素晴らしいことではなかろうか。皮肉なのは、この作品が日本人の手で作られなかったことだ。是非日本の映画人も、この作品を見て、いろいろなことを学んで頂きたい。まだまだ、伝えるべきことはあるはずだ。 【ドラりん】さん [映画館(字幕)] 10点(2006-12-20 01:38:22) (良:1票) |
2.日本人には重く、息苦しく、辛い映画。「父親達の星条旗」に続く本作も、イーストウッドらしく淡々としている。画面に繰り広げられるのは阿鼻叫喚の地獄なのに、ドラマチックに盛り上げようとは決してせず、突き放しているようで、実は暖かい目線を忘れない、静かな映画だ。そして美術考証の細かな違和感など吹き飛ばしてしまうような全体を貫くしっかりした物語の骨組みと質の高い映像、演出が見事というほかない。本作の批判に「戦勝国」である米国が、いくら敗者の視点に立とうとしても、それは傲慢であり、偽善に過ぎないというものがある。太平洋戦争に限らず、戦争によって傷ついた人々が再び和解することは長い時間と大きな苦痛を伴うし、許せないという気持ちもわかる。しかしイーストウッドが投げたボールを僕は受け取りたいと思う。硫黄島では、現在、日米双方が参加して合同の慰霊祭を行っている。これは世界の戦場を見渡しても例のないことだそうだ。そして、この二部作。日本人も、米国人も、これは試されているのではないだろうか。国や民族同士が戦うということ、駆り出された人々の傷、そして和解。島で斃れた日米の兵士達は身をもって「考えよ」と諭してくれているような気がする。また、第三国の人々もこの映画を観て、今自分たちが憎しみをたぎらせて争っている相手が、本当に悪魔なのかということを、少しでいいから思いやってみる事が出来ればと思う。 【ロイ・ニアリー】さん [映画館(字幕)] 10点(2006-12-19 17:03:36) (良:1票) |
1.《ネタバレ》 素晴らしい映画だった。僕は前作『父親たちの星条旗』のレビューで、クリント・イーストウッドは個人という矮小な物語から戦争という壮大な物語を描いてみせる、ということを書いた。今、彼の硫黄島2部作の後編というも言うべき『硫黄島の手紙』を観終わって、正に我が意を得たりとでも言おうか、その感想に聊かの変化も感じていない。 この映画の主人公は一兵卒、西郷であろう。(彼は狂言回しではなく、この物語の主人公である) その弱々しくも人間的なキャラクターから硫黄島戦を捉えたとき、この映画は戦争という極限状態における個人的な側面をその切実さとともに描き出す。クリント・イーストウッドは戦争という局面の中でも執拗なまでに「人間」を描くのである。ほぼ全編にわたって硫黄島戦の経過をなぞるように場面が進んでいく為、『硫黄島の手紙』は『父親たちの星条旗』と違い、硫黄島戦の史実を日本軍側から忠実に描く戦争記録映画として観ることもできるだろう。しかし、主人公の西郷、そして、栗林中将、元憲兵の清水の過去、その個人史がフラッシュバックで描かれる、その短い場面に込められた登場人物たちの「生きる想い」、その凡庸でありながら、普遍的な切実さこそがこの映画に込められた最大の「祈り」であり、それが僕らの心に自然に、そして重く受け止められるのである。 西郷は生きる。彼は逃げ続けることによって、生を得る。そして彼は言うのだ。 『私はただのパン屋です』 私は愛する妻と未だ見ぬ娘に会いたい、彼女らに会うために祖国に生きて帰る、そういう自らの真実に支えられて戦場を生き抜く、そういうただのパン屋なのです。 ただのパン屋であるという西郷の真実。それとともに、西郷が清水の死に触れて流す涙、栗林を看取る際の涙、それは単純ではない人間の(ある意味でパン屋であるということを越えた)在るがままの涙であり、そのことの重みが僕らの胸を強く掴む。 彼は誰にも知られずに誓った「生きて帰る」という信念を貫いたわけだが、そういう個人的な正義を僕らは誰も非難することなどできない。何故ならばそういった人間の信念が戦争という狂気の中で揺らぎ、繋ぎとめられる、それこそが戦争というものであり、クリント・イーストウッドが伝えたかった信念であろうと僕は思うのである。 【onomichi】さん [映画館(字幕)] 10点(2006-12-11 20:55:08) (良:1票) |