1.《ネタバレ》 山田洋次監督の前作は後味が悪かったが、「おとうと」は涙をこらえるのに必死であった。一人で家で見ているなら号泣したかった。
本来,映画を見るということはそういうことであったはずなのだ。
ああいう親戚は自分にも確かにいる。
自分は子供の頃によく遊んでもらったので特に嫌悪感を持っていなかったが,何故か親や他の親戚から冷たくあしらわれており、おしゃべりで人を喜ばすのが好きな性格の人なのだが、いまひとつ世間の常識がわからないと思われているようである。そういう自分の経験と重なる部分がこの映画にはありました。
どんな人間にも必ず存在意義があり、居場所があるというのが山田洋次監督の思想のようで、それは共感できるのだが、この作品では何故か医者が悪い意味でのエリートの代名詞のように冷酷な人間に描かれているのは違和感を持ってしまいます。
弱い立場の人間を描く上でそうした描写になったのは、想像できるが、「話す時間もない」「話すことがない」ぐらい追い立てられている人間の悲哀や孤独、それを理解しようとして理解できない妻の姿も描かれていてもよかったのではないかと思う。
あの娘の結婚は単に相性が悪かっただけなのだ。
しかし弟の死に際はどんなにベタだと誰が言おうと自分にとっては衝撃的に胸に迫った。
不謹慎であるが、山田洋次監督がそういうお年頃であるから描けたシーンであったと思う。
姉のいる前で弟にとって赤の他人が「もう楽にしていいのよ」と告げることが、どんなに重みのある献身的な言葉であるか。ダメな人間とは資本主義社会の一面の見方でしかなくて、その人間の存在意義と尊厳を描いていたと思う。現に弟は「世間が俺を認めてくれない」とバカな凶行に走る事もなく,人を恨む事もなく,うまくいかなかっただけである。そんなお人好しで自ら人生を断ってしまった人も自分は知っている。
そんな思い出や共感をダシにした映画だという批判も自分には関係ありません。
自分の経験に重ねて人生考えさせられたことに感謝したいですし、それが映画の醍醐味だと思います。
映画館を出た後も延々とこの臨終のシーンの重さが響いて,思い出すたびに,ただ道を歩いていても涙が出そうになった。自分だったら,このように潔く人生を終われるだろうか、自分の親類だったらこのように送り出せるだろうかと。山田洋次監督,もうしばらくがんばってほしいです。