2.《ネタバレ》 まず驚くのは、力技で組み伏してくるようだった80年代の一連の相米映画とのそのあまりの差違だ。わからない奴はわからなくていいとばかりにやりたい放題だった荒くれ者がジェントルマンのたしなみを身につけたかのように、相米はこの映画を相米らしくもとても真っ当な映画に仕上げている。続く『お引越し』で彼がその正しい真っ当さと相米的力技の最もバランスのとれた完成形を見せ、以降はよりその真っ当さを強めていったことを考えると、『東京上空いらっしゃませ』は相米映画の過渡期に位置した記念碑的作品でもある。おもちゃ箱をひっくり返したような美術にファンタジー的特撮、牧瀬里穂のやけくそのような芝居の非リアルなリアル、相米印とでも呼ぶべきそれらを長回しで生き生きと捉えながらこれまたおなじみの荒唐無稽なストーリーを、けれど彼はとてもとても丁寧に大切そうに語る。たとえるならば『ローマの休日』方式の、はじめから終わりを運命づけられた二人のタイムリミット付きの恋の物語を。天国までの猶予の時間を生きる主人公ユウは、貰ったばかりの薔薇をちぎって屋形船の上から夜風に飛ばす。一見共感しがたい刹那的なその行為はしかし大切な花束を前に彼女が出来うる、最大限の愛の表現だ。かけがえのないその花を枯れるまで慈しむ時間すら、彼女にはないのだ。そんな彼女が、今の自分がいちばんいい!と高らかに宣言するかなしさ。影踏みのやりきれなさ。途方にくれながら球体のジャングルジムをぐるぐると回し飛び乗るシーンの抒情。あるいはそれこそ大昔のハリウッド映画のように開きなおった吹き替えのミュージカルシーン、作りものめいた画面の中に牧瀬里穂の躍動だけが今を生きる本物としてくっきりと浮き上がる、そのせつなさ。大口を開けて笑い、喜び、怒り、また笑う、そんな美しくも当たり前の日常を彼女が生き生きと生きれば生きるほどに、すぐそこに迫りくる終わりを予感させる、その逆説がたまらなく胸をしめつける。やがてあらかじめ決められた終わりがやって来て、それでも相米はそれまでの彼からはとても考えられない、ささやかだがそれでいてとびきりすてきなラストシーンを見せてくれる。あとにもさきにもこんなにやさしい相米は見たことがない!へたくそな牧瀬里穂のすばらしい笑顔はオードリー・ヘップバーンにだって負けていないと思う。天国の相米もパラソルの下、地球を眺めながら日焼けしているだろうか。