5.《ネタバレ》 いやー驚きました。
ニール・ジョーダンがこんなすごいものを作っていたなんて。
それなのに、完全無視されてきたために、この存在すら知りませんでした。
が、なぜ「完全無視」されてきたのかそれは見れば一目瞭然で、上映すらできない国がほとんどであることは容易に想像できます。特にアメリカなんか絶対に無理です。
まあ、承知のうえで作ったのでしょうし、コレで賞を取ろうとかゼニを稼ごうとかいうことは全然考えていないに違いなく、いい意味でも悪い意味でも作り手が「満足」する作品であるわけです。
そこんとこを考えてみたいのだが、「いい意味」で言うなら、こんなに妥協のない徹底した完璧な作品は本当に珍しいわけで、似たような意味で思い浮かぶのは「ブリキの太鼓」くらいのものでしょう。
どこにも妥協がない、観客に対するサービスなどハナから頭にない、そして、だからお話として素晴らしい。
いっぽう、この作品における自己満足の結果もたらされた「悪い意味」とはなんでしょうか。
それは映画として「愛されない」ということです。
フツーの観客はこの作品の登場人物の誰をも愛することはできませんし、自分を重ね合わせる対象も居ませんし、アイルランドの寒くてビンボーな風景に愛着を覚えることも困難です。百歩譲って言うなら現地の人々は多少違うでしょう。しかし、「オラが国のムービー」として自慢する対象には絶対にならない。
せっかく作った映画が、ほとんどの国で上映もしてもらえず、無視されて消えていくのです。
私はこの作品が素晴らしいということは全く認めますが、全然愛せません。
もう一度見たいとも、思わない。
フランシーが通行税を取ろうと夫人を脅す場面で、もう、ドン引きになってしまったのです。
フランシーはハードな家庭に育ったため同年代と比べて心身ともに「強靭」すぎて、強靭すぎることが、すなわちくじけることができないことが、その後の顛末となった理由なわけです。
そして、最終的にジョーに拒絶させることで作り手は「物語としての妥協のなさ」を達成しましたが、同時に「観客から愛される要素」もきれいに消し去ったのでした。
そして、私は「映画」とはやはり観客に愛されてナンボ…という気持ちが消せない。
観客に媚びず、なおかつ愛され、妥協もしない、というのが最高ですが…求めすぎ?