1.人が生き返るということから私はすかさず「ゾンビ」を連想してしまう。心やさしい人ならば「白雪姫」を想像するかもしれない。人によっては「バカボン」で、馬鹿田大学の友人の葬式でバカボンのパパが「死んだー、死んだー、ザマーミロ~」とお経を唱えたら、その死んだはずの友人が飛び上がり元気になって逃げるパパを追いかけるシーンを想像する、かもしれない。どれもフィクション的な復活で、そこにはそれぞれの強度を持って死者の復活を意味づけている。ところがドライヤーの「奇跡」はそういう感覚を超越している。「聖なるものの顕現があるところ」を映画上で作り上げてしまったのだ。いわば映画内の完璧な儀式化である。カール・ドライヤーは儀式を全うする人と空間と時間と、それらの内から生じる「何か」をスクリーンで表現する為に、これほどはないというほどの美しい白黒の映像を生み出した。それはこの映画における白・黒こそが映画で初めて生と死を際立たせたのではないかと思うぐらいに、である。故にこの映画は彼女が生き返るということに疑問の余地を全く与えない。奇跡が起こるということがフィクションの特性としてあるとするなら、この映画における奇跡が起こる過程はおそらくどんな映画よりも崇高で近づきがたい。であるがゆえにこの映画は、本当に映画と呼んでいいのか、何か別のものなのではないかという気さえ起こる。