1.本作のことは高畑監督のWikipediaを眺めていたときに知った。
本監督の映画は「セロ弾きのゴーシュ」「おもひでぽろぽろ」「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ となりの山田くん」「かぐや姫の物語」の六作品しか見たことがなかったが、Wikipediaで見てみると、これが映画については本作を除く全てであった。ゆえにこの作品だけ見ていないという訳にも行かなくなって視聴した。
本作の立ち位置はドキュメンタリー映画と教育的映像作品のちょうど間に位置する。ドキュメンタリー映画にしては言語的な情報量が多く、教育的作品としてはあまりに美意識が高い。
2時間40分もの時間は、ドキュメンタリー映画としても、教育的作品としても長過ぎるが、その濃度は平均的な作品のものとは比べようのないほど濃い。切り替わっていくカットはそれぞれ新しい情報あるいは情景を提示し、この作品がどれだけ時間を惜しまずに制作されたかよく分かる。引き伸ばしての三時間弱ではなく、切り詰めての三時間弱である。1シーズン12話のシリーズものドキュメンタリーを一本に凝縮したものと考えれば、それほど長い時間の作品だと言うことにはならないだろう。
実際的な「掘割」の役割と、歴史・文化的な意味合い、そして生活的な立ち位置、及び美学的な見地、多面的な視点がひとつに統制されていて、見ていて器の大きさ、あるいは懐の深さに感銘を受けた。これほどのスケールのドキュメンタリー作品は見たことがない。小さな街からこのような作品が生まれるということは驚異的である。(ここでいうスケールという言葉の意味は、けしてBBCが見せるような技術的スケールではない。あくまで精神的スケールの話である。)