1.《ネタバレ》 本作品は、1972年制作「惑星ソラリス」のリメイクである。旧作ではラストにどんでん返しがあるが、ソダーバーグ版では、旧作がネタばらしになっていることからこれを採用せず、旧作にはなかった、クリスが地球への帰還を断念するシーンを挿入した。私はこれを評価したい。
精神を病んだレイアは、夫に愛されていないのではないかと疑い、堕胎した。クリスはこれに憤り家を出るが、レイアは自殺してしまった。レイアには堕胎した罪の意識があり、クリスには妻を自殺させた罪の意識がある。
あの日に戻りたい、もう一度やり直したいという思いは、誰にでもあるのだろう。だがソラリスは、そんな悲痛な願いをかなえてくれた。死んだレイアを再び登場させてくれたのである。
しかしそれは、クリスの過去の記憶をソラリスが物質化したレプリカである。彼女が反応するのは、クリスの予想を反映しているに過ぎない。二人にとって未来はない。それは永遠に続く過去でしかない。レイアは自分の存在に疑問を抱き、二度目の自殺を遂げる。
地球への帰還船が離脱すると、宇宙ステーションはソラリスの大気圏へと落ちて行く。ここで宇宙ステーションが燃焼するシーンがなかったのは、残念である。クリスが叫ぶ。
「レイア! レイア!」
サミュエル・スマイルズは、「一個の人間は地球より重い」と言った。壊れてしまった愛を取り戻すためなら、生まれた星を棄て、未来を棄て、肉体さえも棄てられるのか。
ここでソラリスによって作られた少年が、クリスに手を差し伸べる。それはミケランジェロの絵画「アダムの創造」で、神がアダムに命を注ごうとするシーンに酷似している。
クリスは、ソラリスの意志により新しい命を注がれたのか。新しい世界では、指を切ってもすぐに傷が癒えてしまう。もはや以前の肉体ではない。
レイアの再生を待つクリスの前に、再びレイアが現れる。彼女はどれだけ本物のレイアなのか。クリスは生きているのか、死んでいるのか。だがもう、そんなことはどうだっていい。生まれた星を棄て、未来を棄て、肉体さえも棄てて、ただ執念だけの存在となって、それでもお互いを求めずにはいられない。壊れてしまった愛の日々をやり直すために。
たとえ狂おうとも正気になり
たとえ海に沈みゆこうとまた浮上し
たとえ愛する人亡くとも愛は死なず
かくて死はその支配をやめる
(ディラン・トーマス)