46.《ネタバレ》 “What's Eating Gilbert Grape”『何でそんなに苦しんでるの?ギルバート・グレイプ』。他にも『~イライラしてるの?』や『~悩んでるの?』なんて訳もある。そうだったんだ、モトのタイトル、主人公の名前だけじゃなかったんだ。
私の中の第二次映画鑑賞ブームで出会い、こんな繊細な内容のアメリカ映画もあることに驚きました。
時代のプリンス・ディカプリオが知的障害者の子供を。幸薄い役ばっかりだったジュリエット・ルイスがキラキラ輝いてるのも印象深い作品。
このエンドーラって町の閉塞感。ギルバートはまるでこの町に閉じ込められてるように観えます。実際、家を出た兄を除いてグレイプ家の3兄妹は、過食肥満の母と知的障害者のアーニーの面倒を見るため、町を出ることが出来ません。物語はアーニーが18歳を迎えるまでの6日間のお話です。
不思議なことにギルバートの周りは、この町で死んでいく年寄りと小さな子供しか居ません。買い物も巨大なショッピングモールと潰れそうな食料品店。極端な話、“生”と“死”しかない町で、中間が無いんですね。
友達もバーガー屋(=食べること=生きること)を夢見るタッカーと、葬儀屋(ズバリ死)のボビーの間で、ギルバートは未来の選択を迫られています。
選択と言っても、家族も周囲の人たちも、みんなギルバートに頼って生きています。食料品店の店長なんて、フードランドの勢いに恐怖しながら、ギルバートに慰められて商売を続けてます。
この町にはどうしてかギルバートと同年代の女性が居ないので、若い人妻ベティとの不倫のスリルを楽しんでいます。ベティもまた、この町で年老いて死んでいく側の人でした。そこに新たな存在ベッキーが町の外からやってきて…。
お母さんは最後どうして??ですが、彼女は最後、アーニーを無事18歳にしたことと、ギルバートがベッキーとの未来を見せたことで、ギルバートに頼る生き方をやめる決意をしたんでしょう。それが、2階のベッドで人間らしく寝ることだったんでしょうね。彼女が前向きに生きる決意をした矢先の事故死。自殺ではありません。「光り輝く甲冑を着た王子様」の話は、彼女の遺言ではなく、近々出ていくギルバートへの“贈る言葉”だったんでしょう。アーニーにも何か言葉を贈ろうとしましたが、その前に彼女は力尽きてしまいました。
何ともあんまりな話ですが、この町では死は滑稽なカタチでやってきます。元気だったカーヴァーさんは子供用プールで溺れ死にました。もちろんベティによる他殺ではありません。お母さんの死はそれと一緒。※余談だけどカーヴァーさんが子供に買い与えたトランポリンがアーニーの誕生会の場に置いてあるのがなんか微笑ましい。ベティからアーニーへのプレゼントだったんでしょう。
奇遇にもベティもギルバート兄妹も、自分を縛る存在(夫・母親)が死ぬことで、エンドーラを出て新しい生き方を始めます。
母の死からから1年後。少しも変わらないアーニー。少し髪が伸びたベッキー。なんてワクワクする終わり方でしょう。