1.《ネタバレ》 妻投稿・・・旦那は10点入れていたんですけど、私はこの映画を全く評価しない。それはたぶん私に秋葉で人を殺した奴と同等の知性しかないからだと思うし、10点をつけている人のレビューの方が正しいと思うし、その人たちをけなすつもりは毛頭ない。でも私にはなぜこれが「世紀を超えた感動作」と今の日本で言われるのかがさっぱり分からないのだ。第一にベルトコンベアーの作業がきつい、人間性を奪うと風刺されているが、世の中には恐ろしい人間関係よりも一つの作業に集中した方が心穏やかな人間もいるのだ。第二に精神障害者が自分から刑務所に入るために悪さするシーンがあるが、私はこの時点で主人公に感情移入するのをやめた。障害者だろうがなんだろうが悪い事をするなんてとんでもないことだ。今の日本じゃ障害を持った方が恐ろしい暴力団や企業から逃げるために刑務所に入るなんてことがしょっちゅう起こっている。でもほとんどの障害を持った方が犯罪や人倫に反することに反対している。そこにはまさに羅生門でお婆ちゃんを裸にするかどうか究極の選択があるわけだが、チャップリンはそれすら無視してコメディーにしてしまっている。正直そんな人間が女の子に対して「笑って」なんてポーズとった暁にはどう咀嚼していいのか分からなかった。第三に食堂でのシーン・・・普通あんな失敗したらそれこそ店長や他のスタッフから集団暴行されるか物凄い違約金を請求されるだろう。たぶん他のレビュワーさんだって目の前で同僚がそんな粗相をしたら文字通り「ただじゃおかない」だろう。でもチャップリンだと変なダンスとパントマイムをすれば万事オッケイ・・・。■以上の事から考察すると、チャップリンの「笑っていきましょう」の世界は所詮「責任」がない暖簾に腕押し世界。ごめんとクビで全てがなかった事にされる世界。実社会は「自分が誰かに破壊されない」為に何かを負担し続けなければならない世界だ。でも女の子が集団暴行で死んでしまったら私はランス・フォン・トリアーを酷評したのと同じ理由で酷評するのだろうな。つくづく自分勝手なレビュワーだと自分でも思う。■でも私は何でこの映画が世間で感動されているのかはわからない。私自身これを見ても「てめえはこの映画で感動する権利なんかない」と言われているように感じるし、この映画に感動しそうな人を、私は生きていてもそんなにお目にかかっていない。