1.《ネタバレ》 原作は読んでいない。この映画を見てから読む気にもならなかったので原作紹介の役目は果たしていない。悪役のフルネームが手羽先に聞こえるのは原作のせいか。
見たところ、視覚的なところと音楽には力が入っていたようだが中身がついて来ていない印象がある。魚や牢屋といった要素が馴染んでおらず、二重拘束というのも最後のこれがそうだったのか?という程度で印象が薄い。また悪役が一本調子の悪人面のせいか、愚かしさとか悲哀といったものが感じられずに憎々しいばかりで、思考や心境の変化も伝わって来ないところがある。終盤も偶然だか意図的だかわからない展開で都合よく決着を付けたようで爽快感がない。
特に個人的に困ったのは、これだけ胸糞悪い話を見せられて溜まった不快感をどう処理すればいいかわからないことである。学校とか千葉県警とか児童相談所を憎んでも仕方ないので、自分としては登場人物や映画自体を憎む結果になった。
まず自分は当事者ではないが、娘を殺された父親の立場であればもっと過激にやってもらって構わない。コンビニの前で殴り倒したのは単なる馬鹿だが、どうせ暴力的にやるのならこういう機会を捉えて殺せば簡単に終わるだろうし、そうすれば小悪人の方も小便漏らすどころでなく精神的に立ち直れなくなって一生終わりだったはずだ。死者が望むかどうかなどはどうでもいい。
また芸能事務所(吉本興業かと思った)で「映画と同じぐらい価値のある人間か」と問われたところは笑った。映画製作にはそれなりの元手が必要だろうからその値段の話をしていたのかも知れないが、それにしても毎年大量に生産されて消費されて忘れられる商品と同様の価値しかない人間と言われるのは屈辱的ではないか。
ちなみにこの映画のせいで悪役の女優にはかなりの悪印象がこびりついた(「渇き。」の小松菜奈に匹敵)。役者に罪はないとか作品に罪はないとかいう言い方はあるが、罪はなくても感情問題として嫌悪するのは仕方ない。劇中の台詞としては「いい脚本といい監督さん」なら何でもいいとのことだったが、本人が嫌われてしまってはまずくないか。エンドクレジットの間じゅう静止画で顔を映し続けていたのが極めて不快で、今後この女優の顔を二度と見たくなくなったが、そんなことを思わせるのも映画の力ということだ。
なお葵わかなさんや武田玲奈さんに当然ながら罪はない。谷村美月嬢が可愛らしいので救われる。