35.《ネタバレ》 当時の有頂天になっていたスクエアが世界に放った、勘違いだらけの超失敗大作!
CG技術にいかに自惚れていたか、CG技術が全てではないことをこの失敗が教えてくれているが、
昨今のTVゲーム「ファイナルファンタジー」はこの「失敗」から何を学ぶのか?この失敗にもっと正面から向き合うべきであろう。(これをゲーム化すれば結構、面白いんじゃないの!)スクエニ様、この作品を「なかった事」にしてはいけません!
これはあなた達のものです。
「ファイナルファンタジー」の熱烈なファンである僕は高校生のころ、発売日に張り切って「スピリチュアルボックス(?)」という超豪華版を買ってしまいました。ワーストランキングの上位にランクインしておいて、なにが「スピリチュアル」だ!
サントラCDの帯にも「生命あるすべてのものに捧げる(だっけ)」みたいな壮大な綴り、、、なんという自惚れでしょう!
勘違いもはなはだしい!全世界規模でスベったね。あちゃ~。
エンディングテーマは、女性の声が美しく優しく母性的で暖かく、広大な大地を思わせる曲は「スピリチュアル」で包容力があり、作品の内容の何十倍もの感動を与えてくれる。
ラルクアンシェルの曲も、とても「ゴシック風」な哀愁があって良い、美しい情景を連想させる名曲。
ある雑誌でこの作品の広告を見て、洗練されたメカデザイン、ビルの廃墟、不思議な形の岩、広大な台地に立つ一人の美女、どこか「サイエンス」っぽい雰囲気、ファイナルファンタジーとは少し違った幻想世界で神秘的なものを感じたので期待したが、作品は表面的過ぎた。
CGは美しいがそれは一瞬だけ、それはあくまで一枚の絵として見た場合だ。
2時間(3時間?)もかけて観たいとは思わない。
CGがいかに表面的、外面的、見せかけで、中身が無くて、人間味の無い冷たいものなのかをこの作品自らが教えてくれる。
CG技術の限界を見事なCG技術で見せ付けた駄作。
CG技術を完全否定しているわけじゃないんだよ!
だってCGも部分部分で効果的に使われていれば素晴らしい物になる。
大部分がCGでもたとえば「トイストーリ」のように素晴らしい作品もあります。
ただ僕は「ファイナルファンタジー」という「物語」(世界観、ゲームの音楽やキャラクター、幻獣、天野喜孝のイラストも含めて、そういう雰囲気)の大ファンです。