1.これは間違っても「ドキュメンタリー」ではないですよ。奥崎氏は、口では「あなたの話を聞きに来たんです」などともっともらしいことを言いながら、それに即した行動を行っていない。相手が自分の意に沿わない発言をしたら即座に全否定、ひたすら自分の見立てと見解を押しつけているだけ(それは前半に登場する遺族とやらも同様・・・って、後半に至ってはニセ遺族手配って、それだけでも全部アウトでしょ)。でもそれって、例えば警察の取調官が被疑者を恫喝して供述を誘導なり操作しようものなら、それは奥崎氏にとっては反抗と打破の対象なんだろうけど、自分もまったく同じことをしているんじゃないの?ましてや奥崎氏は、暴力と脅迫を(自分についてだけは)肯定しているわけですから。そんなわけで、客観性もなければ検証性もないので、これをドキュメンタリーとはいいません。なお、当時の日本家屋の内部(家具も含む)の数々がじっくり見られるのは興味深かったので、点数はそこに対して(「玄関の扉に普段から鍵をかけない」というのがどういうことなのか分からない人も今は多いと思いますが、こんな感じなのですよ)。