1.《ネタバレ》 幾度も導入される鏡面、水面、質屋のショーウィンドウといった反射装置、または肖像画、あるいは階段などの建築構造で以て「映画スターと映画」という虚像および虚構空間の隠喩をやらんとする意図だけは伝わる。
しかし、まさにその意図だけしか伝わらない。理屈だけの、体裁だけのオマージュ。
「モノクロ」「サイレント」に対するも然り。モノクロは単にモノクロであるだけで、レンズのフォーカスや照明の繊細な技法が創り出す画面の艶やエモーションに対する無頓着を見せつける。
『サンライズ』など、どこにも見当たらないが。
フィルムが燃え上がる炎も煙も、タランティーノの画面にも遥かに及ばない。
犬の「芸」はただ単に人間の調教ぶりを示すだけだ。
加えて、饒舌で説明的で煩わしい劇伴音楽がさらに画面の邪魔をする。
恐らくはグリフィスを意識しただろう「最後の瞬間の救出」のクロスカッティングがこうも盛り上がらないとは。
とどめは、サイレント俳優がトーキーへの「適応手段」として思いつきのような「名案」に乗って要領良くタップダンスに転向し活路を見出すという安直な作劇。
幼少から鍛錬と努力を積み上げてきたはずのハリウッドのダンス「アーティスト」達も随分と舐められたものだ。この脚本では、そう取られても仕方ない。
だから、頭でつくられたダンスになりさがる。
ケリーかアステアか。どうでも良い。そういうスタイルの問題ではない。