1.《ネタバレ》 連中は、世界をどうしたいのか。
彼らの思い描く世の中とは、どのようなものなのか。
「連中」というのは、この映画にも登場しているマイケル・ムーアとか、緑の党の人たちとか、この映画の製作者のような人々のことである。
この映画では、「企業」を「人格」としてみた場合の精神分析を試み、立派な「サイコパス」である、と太鼓判を押す。
その後のもって行きかたは、「でも、企業のエラいさんは、一人一人は結構いいヤツなんだ。悪いのは個人ではない。所属している組織であり、機関なんだよ」とくる。
??意思決定とは、人間がしているのではなかったか?誰かを庇っているのか。それが、この映画の「保険」ということか。
そして、教会や学校といった組織や、公共の組織は、「損をすることができる」から良い、とし、それができないから「企業はダメ」と言う。
ちょっと待って。その「損をした分」は、誰のお金で補填するの?
さらに疑問なのは、「囲い込み(エンクロージャー)」が良くなかった、とし、土地や空気や水を「個人が所有」することは悪、と言っていることだ。
??…ということは、彼らは、全世界が昔のソ連のようになったらいいな、と思っているのか?
プライベートプロパティという概念は、それまでの「神の所有物」という共通認識と対比して生まれたのである。柵を立て、塀で囲い、異物を拒否する。囲い込みである。
これがいけないのだそうだ。…ちょっと待って。「私有化」は、モチベーションを高めるのではなかったっけ。その逆も真なり。人間とはそういうものであって、そういうものであったから、こういうことになったのではなかったっけ。
なんと、この映画で彼らは、「すべてみんなで共有したらいいじゃん」と言いたいらしいのである。
各企業の悪業と、それとは、一緒にしていい話なのか?
「企業悪を解決=みんなで共有したらいいじゃん」にひとっ飛びするとは、ものすごい離れ業である。そこまで言うなら、「歴史」をどう考えているのか、明確に語って欲しいものである。
最後にムーアは「オレのやっていることは、企業の首を絞めるナワになること。決してヤツらの側に立っているわけじゃない」などと言い訳する。やっていることに自信があるなら言い訳をするな。言い訳を。興ざめも甚だしい。正体見たり、という気分だ。