2.《ネタバレ》 まあ映画って観る人それぞれが感じればよいのだけれど、
この監督の独特のものがわかったような気がしてきました。
色や撮り方それは手法であり実はもっと単純なもの。
(わからない)ということです。
この多くの人にわからないということが、芸術性価値ともファンに認められていること。
そしてこのわからない価値というものが、また見てみようという気にさせるのです。
その価値観ですが、私はわかりやすい未知への方を選びました。
それがラストの芸術性です。
結局同じことなのですが、それの描きかたは筆が違うように全く別物になっています。
キューブリックのそれは、ミュージカルのようで宗教がかって美しい哀しさ。
ルメットのほうは、それを映さぬ方法でしかも冷酷なまでに切り落とします。
私の見解で申し訳ないのですが、
キューブリックが中世の壁画なら、ルメットは衝撃的な報道写真・・
どちらも芸術なのです。
コメディであるこの映画で笑えた箇所は2箇所でした。
最初の方で爆撃機が登場するたび流れていたソ連の民謡のような曲。
あれはひつこいくらい流れててコメディホラーのようだった。
そしてもうひとつがP・セラーズではないんです。
大統領!ばかばかりの中にひとり場違いな普通な人がいる・・
ロシア通訳の電話の応対でおかしかった。「受話器がない」指を鳴らす大統領・・
1941(かなり好きな映画ですが)の大失敗は、ばかばかりだったところ。
この博士のほうは、ひとりまともな普通の人間(それも大統領、に見えないのがミソ)
を絡めて、その他ほとんどのばかが目立つという、コメディの基本をはずしていない。
コレは見事だと思いました。
さてラストの謎ですが・・
あの車椅子で立ち上がる博士の意味は何なんでしょうか??
私が理解するには頭が痛くなるどうでもいいと。
たぶん「私は立てた、まだ戦えるぞ!」ということなのかな?
しかし時間がないでしょうに潜る時間が・・・
わかりませんなぁ・・
1回目は未知への飛行と比べて実は怒っていたんですが、
2回目の博士の異常な愛情を観てると戦争もいたしかたなし、
みんななくなるのも楽しいかもなんて堕落的に考えてしまうのって、
どういうことなんだろう・・