1.嫌悪感。この映画を観た後に残ったものはそれだけだった。「家族の再生」を柱とした映画なのだが、その再生していく過程がどうにも我慢ならない。ナターシャ・リチャードソンが余命幾許もない病気という設定なのだが、この設定の使い方が実にあざといのだ。特にアラン・リックマンとジョシュ・ハートネットをヘアー・ドレッサー選手権に参加させるやり方には、こらえ切れないほどの怒りが込み上げてきた。まず、はじめは、頑なに参加を拒否するリックマンを非難するのだが、それでもリックマンが折れないと見るや、着用していたカツラを脱ぎ捨て、「私には時間が無いの」と訴える。ここで一気に白けた。病気であること自体には同情するが、それと家族がバラバラになったことと、一体どういう関係があると言うのか。そうなってしまった原因は、他ならぬリチャードソン自身にあるのだ。そういう過去があるにも拘らず、病気を家族再生の道具に使うとは、なんと身勝手なことか。そして極めつけは、「目標は優勝じゃないの。家族の絆よ」というセリフ。その絆を自分がぶち壊して、よくもそんなことが言えるな、と突っ込みたくなった。そもそも、わざわざそういうセリフを言わせること自体が問題だとも思うが。ライバルの描き方も、あまりにもヒドイ。こうまではっきりと白黒の色分けをされると、うんざりさせられる。これは別に犯罪映画でもなんでもないというのに。リックマンがしぶい魅力で好演していたのに、そんなこんなでこの映画には大いに失望させられた。