2.景観のショットは景観としてフィクスで抑えておけばよいのに、
CGには死角はないとばかりにあちらもこちらもとカメラが嬉々として飛び回る。
だから画面内の世界が小ぢんまりしたCG的箱庭スケールに堕してしまう。
合戦シーンの縦横無尽に「目移り」するカメラワークは、それだけで安っぽい。
CGをそのままCG的に提示してしまうセンスの無さは『ブラック・スワン』から
まるで進歩がない。
自制を欠いたCG画面は単に無節操なだけの視点を生み、
無機質な物量に対する不感症を生む。
手作りミニチュアワークのほうが却って文化的な驚きと感動をもたらすだろう。
映画はただただ非映画的観念論議に明け暮れ、
また一方では虚仮威しの空虚なスペクタクルに堕する。
そして肝心な主人公一家の生活の細部は一向に描写されることはない。
労働でも娯楽でもいい、そうした暮らしぶりのディティールの積み重ねなくして
人間の描写はなかろうに。
そこから逃げている。