1.《ネタバレ》 粗暴性あり、順法精神に欠け、麻薬取引を最近までしており、定職もなく、家族からもごく最近見放されかけ、友人と大晦日に騒ぎたいために小さな子供を自分の母に預けて街へ出かけ,ちょっと前の敵対グループに電車内で遭遇して殴り合いのけんかをし、警官から逃げようとして嘘をつき、反省の姿勢も見せず警官を携帯で撮影し、銃を構えた警官に対しああだこうだと騒ぎ続けた挙句、警官に撃たれたDQN黒人青年の話。家族内の「良い奴エピソード」とか、「反省してます、これから真面目に生きようとしてました」エピソードが語られているが、因果応報、もう十分すぎるほどの屑人生を歩んできた人間だ。ずーっとまじめに生きてきて社会のために人のために生きてきたのに不慮の事故で亡くなってしまう人は世の中にたくさんいるのと比べてしまう。この黒人は確かに気の毒だが真面目に生きていたらこうはなっていない。警官だって逆に襲われたりする可能性があるなかで治安維持を必死でやっているわけで、いわゆるDQNにはできれば一部の理も認めてやりたくはない。屑は死ねという意識が警官の中になかったわけではないだろう。おそらくその気持ちが思わず出て、射殺してしまったのだろう。こういう映画をつくるなら、では射殺した側の警官の人生も描けよと言いたくなる。真面目で努力家で家族思いで同僚思いで、治安維持をしたおかげで助かった善良な市民たちを市民の側から描いたエピソードなんかも添えるといいね。それとか優秀で誰からも好かれていた同僚警官が取り締まり中に黒人に襲われて殉職したエピソードとかね。この映画の描き方はとにかく一方的すぎる。この映画には一面的な弱者=善という短絡思想が垣間見える気がする。映画を作るとか例えばこの映画感想文を書くなどの行為もそうなのだが、人が何か他者に自分の意見を表明するとき、皆、「良い子」になってしまう。新聞記者やニュースキャスターがタクシー運転手に粗暴な行動をとったとか店員に怒りちらした、とか報道されたりするが、みな本音と建て前がある。映画監督って、どうしてもこういう「良い子である自分」を心地よく思ってしまう人種なのだろうなあ。どっかの新聞記者のように。