1.私も手話に関する知識はろくにない人間なのであんまり知ったかぶったことを言うべきではないのですが、一口に手話と言っても一つの統一された言語があるわけではなく、日本手話、アメリカ手話という風に各国の言語に対応した手話があるためこの映画の登場人物の台詞を理解するにはおそらくウクライナの手話を習得する必要があると思われます。普通に考えればそれができる人間は現地のウクライナでも少数派でしょうし、この作品は手話を理解できない人間に向けて作られ評価されている作品と見て間違いないでしょう。それではなぜこの映画は演出として全編手話のみを使った語りを選択したのかというと、観客が手話を理解できないため登場人物に感情移入させずに距離を取ってその行動を見つめさせるというのが作り手の意図だと思われます。それは全編音楽もクローズアップもなく長回しとロングショット主体のスタイルを見ても明らかです。しかしそうして見つめさせられるものがあまりにもしょーもなさすぎです。何を描くかよりいかに語るかという点にこだわりすぎると内容に皺寄せが来ちゃうのはよくあることで、この映画の物語も不良の抗争とセックスを描いてるだけのありきたりで単純なものでしかありません。おまけにロングショットの長回しも延々と続くだけで、リズム感のようなものはなく単調でダラダラした印象しか受けません。演者は本物の聾唖者をキャスティングしているようですが、手話だけが使われるような劇中のコミュニティが実在するとも考えにくいです。犯罪が関わるならなおさらそれを食い物にしようとする外部の人間が関わってくるはずです。そのためこれが聾唖者の現実を反映した作品とは言い難く問題提起としても中途半端なものでしかないと思います。