1.《ネタバレ》 やたらマーカス・ライトの心臓であーだこーだやるなと思っていた。川辺では鼓動も聞いた。半分マシーン半分人間ということの強調かと思った。ところがジョン・コナーの胸部にT-800が金属片を突き立てた瞬間に移植という展開が一気に露呈した。
そして終盤、スクリーンに映し出されるすべてを疑った。この戦争の指導者は死ぬわけにはいかないから心臓を移植しましたでは、マシーンと人間との差異を描いてきたこのシリーズの根底を覆すことになるだろ。マシーンのパーツ交換じゃねーんだよ。「2」では修理すれば生きれたシュワちゃんだって自ら死を選んでんだぞ。シリーズを通しての物語の整合性など興味はないが、本質的に何を描くのかを見失っているのではないか。
そして「1」「2」の不安感は一体どこへ行ったのか。「1」「2」には、日常世界に見た目は人間だが中身がマシーンの殺戮兵器が未来から来て、反撃しようともくたばらず、執拗なまでに寡黙に追い掛けてくるという、底知れぬ恐怖とサスペンスが滲み出ていた。審判の日を経たため日常世界は消滅したのだから、同じことを求めるのは阿呆な話だが、あまりにも無意味で能天気なアクションシーンに緊迫感や不安感はなく、何よりもターミネーターに対する恐怖感が皆無だ。サラ・コナーが半狂乱になってまで恐れた終末世界ってこんなもんなのか。
これは戦争映画だ。それは正しい。マシーンは離脱や融合を繰り返し人々を襲う。これも正しい。しかし恐怖はない。ただの迫力のあるシーンだ。でかいマシーンはスピルバーグの「宇宙戦争」のトライポッドと同じ音を発し、これもまたトライポッドと同じ行動だが、人々を掴み籠へと入れるが、「宇宙戦争」にはあった不安感がここにはない。ジョンがカイルを救出するために端末をいじりながら侵入するが「ミッション:インポッシブル」のイーサン・ハントかと思う。モトターミネーターの目を使うところなどは「マイノリティ・リポート」じゃん。ジョンをトム・クルーズがやったらとんでもなかったろうに。
T-800とのバトルで、高低差のある工場内のような場所をわざわざ選んだのは「2」のバトルシーンへのオマージュだが、ここでの緊迫感はジェームズ・キャメロンのあのシーンには到底及んでいない。
悪いところばかりではないが、「ターミネーター」はシュワちゃんと、だっだっ、だっ、だだん!があればいいわけではない。