2.《ネタバレ》 『リベリオン』で中学生感覚溢れるフレッシュな感性を炸裂させたカート・ウィマーによる脚本作品ですが、当初監督に予定されていたフランク・ダラボンが手を加えたり、サスペンスアクションの分野で高名なデヴィッド・エアーが手直しをしたりと一流脚本家達による品質チェックを受けたことで、従来のウィマー作品とは毛色の違う大人の社会派サスペンスとしての体裁が整えられています。観客の先読みのさらに上を行く意外性ある展開で楽しませてくれるし、司法取引により正義の執行が妨げられているのではないかという問題提起にも深みがあり、娯楽性と社会性が絶妙なバランスでブレンドされた良作と言えます。あくまで前半部分に限った話ですが。
後半部分に入ると、一転していつものウィアー節に戻るのでガッカリさせられます。具体的にはシェルトンが独房に入って以降の展開なのですが、ロボットによる銃乱射+とどめのロケットランチャー炸裂や、検事達が乗車する車両の一斉爆破など見せ場はやりすぎの領域に到達し、さらには「シェルトンは政府の汚れ仕事の請負業者であり、良い仕事をすることで知られた暗殺者だった」というB級アクションならば燃えるのだが、社会派サスペンスでやられると笑ってしまうような中学生感覚溢れる設定が追加され、前半とはまるでテンションの違う作品へと変貌するのです。原題”Law Abiding Citizen(法を守る市民)”からの逸脱は甚だしく、さらには司法取引に係る問題提起もここで完全に途切れてしまい、これは一体何の映画だったのかが分からなくなってしまいます。一応は社会派サスペンスなのだから、観客がリアリティを感じられる領域に物語を留めておく必要はあったと思います。
ミステリーとして見てもイマイチで、中盤にて「シェルトンには外部協力者がいる」というネタふりがあるのだから、観客も一緒にその外部協力者を探すよう仕向ける演出をすべきだったのに、この点を軽く扱ったがために「シェルトンは夜な夜な刑務所の外へ出てテロの仕込みをしていた」という大オチが観客にとってのサプライズとして機能しておらず、それどころか「さすがにムリがありすぎて説得力がない」と作品の弱点にすらなっています。だいたい、暗殺の請負業者だったシェルトンがおかしくなって収監されたとなれば政府は彼を24時間の監視下に置くはずだし、あれだけの死者を出せば外部協力者への連絡手段があることを疑われて独房内の捜索を受けることも容易に想定されます。そんな前提条件があるにも関わらず、一度でも独房を調べられればアウトという計画を実行に移したシェルトンは、切れ者の暗殺者どころか運任せの愚か者にしか見えません。
また、シェルトンの人物造形も不安定です。観客に同情心を持って見て欲しい悪人なのか、完全にぶっ飛んだ異常者なのかが定まっておらず、観客としてはこの人物をどういう目で見ればいいのかが分からないのです。少なくとも前半部分では前者の性格を持つキャラクターとして描かれていたのですが、自身の計画遂行のため同じ房にいた囚人(さほど悪そうには見えない)を殺したあたりから、”やむにやまれぬ事情で悪に手を染めた人”ではなくなっていきます。中盤以降に彼がターゲットとした人物達は家族の不幸との関係性がかなり薄く、この人たちがなぜ殺されたのかが心情的にピンとこないことからも、目の前のドラマに感情が寄り添えなくなりました。