1.《ネタバレ》 『となりのトトロ』が感動的なのは、気丈な姉サツキが泣く姿を妹メイが影から「黙って」「見つめる」からであり、迷子になった妹を探しまわる姉の懸命な走り(アクション)とひたむきな表情が露呈しているからである。
この映画はそこをどう処理するか。アルバムに落ちる涙の滴は、娘ももに見つめられることはなく、娘は母がアルバムを見て泣いていたことを、後姿の回想から「憶測し」我々観客に「お母さんは泣いていたんだ。」と言葉によって二重説明してしまう。
この一点からして演出の凡庸ぶりを物語っている。心ある演出家ならアルバムに落下する涙の滴は、間違いなく娘の「見た目のショット」となるよう、処理を工夫するだろう。成瀬巳喜男のように。
見られることそのものこそ映画の要である上、「落下」と「滴」はこの作品の重要な主題なのだから。具体的な涙を介して見る/見られることで二人の絆は回復されるべきだ。説明台詞などもっての他だろう。
母親の影の苦労・心労が具体的アクションで提示されることが一切ないのは勿論、不安に駆られながら娘を心配して探しまわるアクションが説明的ショットの連続に終始し、描写になっていない。
前半で「息絶え絶え」の娘の走りを丹念に見せるなら、後半に母のそれを照応させるのは基本だろう。
それが半端な為に映画はクライマックスにおいても母娘間のエモーションが高まらない。
なまじプロットを類似させているからこそ、映画的資質の差が如実に現れてしまう。
ご当地描写は模写の域を出ることはなく、異化効果がまるでない。アニメーションである意味はどこにあるのか。
巻頭巻末を繋ぐ水滴の落下と、少女の飛び込み。その下降のモチーフも中盤にみかん畑の傾斜を配置しておきながら、弱い。
単にロリコン趣味だけが浮き上がっている。