8.《ネタバレ》 50話からなるストーリーを3部作6時間程度に収めようというのだから、元から無理があるとは思っていたが、相当無理のある話だった。
どういうつもりであのような旧画と新画を混ぜて一本の映画にしようと思ったのかは分からないが、新画に統一してストーリーも一本筋のあるものにして欲しかった。これでは映画とは言えないのではないか。
旧画部分でもセリフはだいぶいじられている印象を受けた、またストーリーもだいぶ改悪されている気がする。
特にライラとジェリドの関係は後々にとっても非常に重要であり、あの描き方は酷いの一言。ジェリドにとってはマウアーよりもライラとの関係の方が影響は大きいと思う。
ライラはジェリドに戦い方を教え込ませ、あの二人はある意味、師弟の関係にあり、お互いに認め合っている部分がある。
ライラはジェリドを「ただのお坊ちゃん」とは思っていないはずで、「いい男になる可能性がある」と誉めていたはずだ。
ライラとカミーユの戦いもこれがまた大事な戦いの一つであり、オールドタイプとニュータイプの違いを感じさせる部分がある。
このライラの死を船上で見ていたのがジェリドであり、助けられなかった歯がゆさや悔しさがカミーユを最後の最後まで追い詰める原動力になっていると思う。それを地球に落ちてまで、ライラがいないとかほざかせるとは…驚かされる。
マラサイに乗ったカクリコンの死も確かにジェリドにとって大きいかもしれないが、こちらはどうでも良くカットしても良い。
カミーユの両親の死も実際にはかなりのタイムラグがあるのに、一回の戦闘で済まそうというのは無理を感じる筋書きだろう。あれではエマシーンがなんでティターンズを裏切ったのかが不明瞭すぎるのではないか。実際はエマは、カミーユを連れて、一旦ティターンズに戻り、悩んだ揚句に、カミーユと父親と三人で三機のMk-Ⅱで脱走してエゥーゴに向かっているはず。あれでは父親は人質になっていない。
そもそも、カミーユ両親の話はあまりその後のストーリーに影を落していないと思われるので、上手くカットしても良かった気がする。
また、カミーユがクワトロのことをシャアと気付いていないように描くのも好ましくはない。テレビ版では、頭では理解できていなくても、心では感じていたはずだ。
このようなミニダイジェスト版にするよりも、人間関係を絞ってじっくりと描けるところは描いた方が良い。