1.《ネタバレ》 うまくやれば傑作になれたのに、何かが足りなくて、救えない失敗作になってしまった、といった感じの映画。DJ志望の気弱な男の子と、可愛いけれど怒りっぽくてビミョーに太りすぎのガールフレンドのエピソードはなかなか渋い。特にガールフレンドに逃げられた後の男の子の取り乱し方が痛ましい。古新聞を溜め込んで頓死する無表情な老女も悪くない。ティモシー・スポールのセールスマンも暑苦しさ抜群、異常性全開、汗臭さ満開で、映画の屋台骨を支える力は十分ある。それなのに、全体として「これは失敗作だな」と思わせるのはなぜか? わけの分からない人物が多数出てきて、行き当たりばったり、力の限りぶつかり合っている。これは悪くない仕掛けだけれど、この全体を見下ろして意味づける視点が映画の中で生み出されない。欠陥はこれだと思う。そんな視点なんか現代にはないのだ、というのも1つの立場だが、この映画はその立場を取っていないはず。ありきたりの不条理(『マルコヴィッチの穴』みたいな)に逃げないのはよいことだ。でもそれなら、例えばティモシー・スポールが海に掃除機を売りつけながら死んでゆく最後の場面は、どうにも中途半端だ。意味なんか無いのだと居直るには意味ありげだし、意味があると言い切るには話が見えない。秩序ある日常生活も、一皮めくれば異様な人々で溢れている、という基本の方向は間違ってないけれど、そんな人々が吸い込まれてゆくもう一つ奥の秩序が見えない。その秩序をかすかにでも感じさせてくれれば(つまり、海に掃除機売るとどうなるの?ってことだ)、凄い傑作になっていたかもしれない。