3.《ネタバレ》 津波で肉親を失ったものの喪失と悲しみを乗り越える映画かと思っていたら、遺族の話ではなかった
どちらかというと厳粛な雰囲気を作るための装置として津波が使われている感が自分の中ではしばらく支配的だった
ではどこへ向かうのかと成り行きを見守っていると、途中で霊能者が現れオカルトのようになり、
いつのまにか舞台が三元中継になってて痛ましい事故で遺族の立場にここで初めて少年が立つと、ゴースト/ニューヨークの幻のような展開かなと思いつつも
オカルトを膨らませて騒動が起こるような雰囲気ではそもそもなかったので、導き出された答えは「奇跡体験アンビリバボー」の再現Vということになってゆくのだが
実際はそこまでも至らなかった。まさかの恋を見つけてハッピーエンドとは。少年が、キューピッド役で。ひっくり返った。この広い世界で、僕だけの私だけの誰かを見つける話だった
これでわかった。津波を使ったわけが。戦争後、大災害後、無差別テロの後も含めて、多数の人死が出た直後にカップルが誕生しやすいという統計を映画にしてみたのだ
そんなモチーフで映画を撮った人の話を、いつかどこかで聞いたような気がする
独特な生臭さを放つ愛憎描写と、フワッとした着地。幾度か経験した気がする鑑賞後感。ああ、イーストウッド作品だったか。エンドクレジットまで気付いてなかった
イーストウッドの映画ってことは、評論家の方が取材なさった内容が頭に残っていたんだな。聞いたような気がしたのは事実のようだ
最後のマット・デイモン白昼の妄想はイーストウッド的人格の成せる描写に相違ない。他の誰も、あんな真似はできないであろう
目隠しの味見シーンとか異常な性的嗜好が直接的に表れているし(ラブ&ポップ思い出した)、後釜のキャスターと寝たとするディレクターはイーストウッドそのものだろう
イーストウッド流のギブ&テイクだがそれすら監督にとっては愛に変わりはないといいたいのだろう
総合的に観て、感動は、難しい。何も考えなければあるいは・・・といったところ