5.特異な容貌故に見世物にされてきた青年、その彼をこうやって商業映画の題材として描く、という事自体に、メタな要素を感じざるを得ないのだけど、それを意識しつつも、どうもこの映画には、以前から醒めた印象しか持ち得ないのです。今回久しぶりに見ても、それは変わりませんでした。
結局のところこれは、メーキャップ技術の限界を示した映画、としか思えなくて。
微妙な、デリケートな問題、であるが故に、その「作り物」感が、まずもって、気持ちを門前払いしてしまう。
かつて初めて見た頃と違って、今ではネットで調べれば、モデルとなった男性の実際の写真を簡単に見ることができ、確かに、似せようと努力していることはわかるのですが。
ストーリーも人物描写もシンプルで類型的なものとし、あの神秘性を感じさせるマスクも勿体ぶらずに脱がせて素顔(のメーキャップ姿)を画面にさらけ出させて、この「作為の無さ」という作為が、ドキリとさせる面も、これまた確かにあるのですが。
しかし、結局のところ、メーキャップでは描き切れない以上、違和感を拭いきれない以上、その姿はやはり、あのマスクの向こうの神秘に、封印するしかなかったんじゃないか、と思えてしまうのです。
ところでこの映画のテーマ曲、聞くとどうにも、童謡の「叱られて」を思い出してしまうのですが。