1.正直言って、この映画の良さを自分が理解するのは難しい。
感傷的なストーリーをわざと直球で描かずに、暴投気味の変化球でストライクを狙ったように見えるし、そもそもストライクを狙っていないのかもしれない。
「マンハッタン」で甘い感じの映画を創っているので、同じような映画は取りたくないのかもしれないが、人生に成功したかに思われる映画監督が、自分の人生の意味に苦悩し、最後に一つの結論…ドリーと過ごした春の一日、音楽とそよ風を思い出すというシンプルなストーリーにした方が共感は得られやすいと感じる。
しかし面白いシーンはいくつかあった。
「81/2」は見ていないので、あまり語るべきではないのかもしれないが冒頭の電車のシーンは実に皮肉的で面白い。
人生を楽しんでいる陽気な人達が乗る列車とみじめな人生を送った陰気な人達が乗る列車。
サンディは陽気な人達がいる列車に乗りたいと願うも走り出した列車を止めることは出来ず、その願いは叶わない。
到着駅はゴミ捨て場であるが、とぼとぼと歩いていくと、向かい側から陽気な人達が乗る列車に乗った乗客に出会う。
この絶望的な人生観は見事としか言いようがない。
また、壁紙を使って、その時の深層を表現するというのも斬新な手法だろう。
この映画は自分には、アレンのあらゆるものからの決別の一種の決意のようにも感じる。
あらゆるものとは、大衆やファンであったり、商業的なものであったり、自分の映画への評価や研究、偽善的と言っては言い過ぎかもしれないが寄付等への決別。
「過度の現実を好まない」大衆に対して、自分は現実を描くというアレンの一種の決意なのではないかという気もする。
もっともアレンはこの映画の中のサンディと自分とは全く別の違う人間と言っているが、「コメディ」云々の話からどう考えても重ねて見てしまうだろう。
その狙いがないとすれば、サンディ役は別の俳優をキャスティングすべきであった。
アレンとサンディを重ねることによって、この映画の真意を探るための弊害になっている気がする。
また、映画の中に更に映画を入れるということが果たして良かったのかどうか疑問に感じる。
特にこの映画のように境界線が不明瞭であるとするとテーマや感じ方も不明瞭になってしまう気がする。