1.《ネタバレ》 レイ・ブラッドベリの短編「霧笛」をもとにした映画とのことで一応それも読んでみると、劇中では灯台のエピソードに化けていたようである(形だけだが)。全体として「ゴジラ」(1954)の元ネタになっているというのはその通りかも知れないが、北極圏から出現するとか灯台を襲うところなどは「ガメラ」(1965)でも真似しているように見えた。
そういう面で歴史的意味はあるのだろうが、しかしこの映画自体にはどうにも褒める材料がないので困る。定評のある特撮部分を除けばほとんど取り柄のない映画であって、これに比べれば「ゴジラ」などは特撮技術とメッセージ性の両面で全く新しいものを創造したというくらいに言ってしまっていいのではないかという気がする。
まず苦情を言いたくなるのは、全編の3/4程度は怪獣がほとんど出ないので人間を見ているしかないわけだが、その間のドラマ部分が非常にかったるいことである。精神病扱いされてまでモンスターにこだわる主人公の気が知れず、どうせそのうちニューヨークに出るのだから放っておけばいいだろうと言いたくなる。ちなみにタコをサメに食わせる水族館映像をしつこく見せられるのもつらい。
やっと怪獣が上陸してからはそれなりに見ごたえがあるが、しかしその怪獣が人間にとって致命的な病気をばらまくという展開は唐突で変である(ちなみに日本語字幕で「細菌」「病原菌」と出るのは不正確で、また「分子」は明らかに誤り)。その必然性がどこにあったかというと、当時の科学の最先端だった放射線でなければ除去できなさそうな感じの危険な性質を怪獣に付与しようとしたかったようで、要は人類の未来を担う核技術バンザイと言いたかったらしい。しかしそういう強力な放射線を使うには作業着のようなものを着れば安全だと思ったのか、また怪獣が死んだ後でも死体に残った放射性物質の危険性は変わらないという意識があったのかは不明である。そもそも主人公は最初から身辺が放射能だらけのように言っていて、とても長生きできそうにない男であるから、ヒロインは早目に別れてしまって生涯の伴侶を別に求めた方がいいだろう。
そういうことで、古い映画をわざわざ見ておいてけなすのは大人気ないと思うが、ここは見た通りの点数をつけておく。ちなみに映像表現としては、高圧電線に触れた時の光の明滅と、怪獣が火のついた構造物を跳ね上げたところが印象的だった。