1.硬直した静の画面が多くならざるを得ない題材に対し、作り手は食事のアクションを以って画面に動感を呼び込もうとする。
鰯、西瓜、汁粉、水饅頭、カレイの煮つけ、干柿、干芋、茶漬け、ウイスキー。
それらを美味そうに食べる役所広司の表情が一種の人柄描写としても機能している。
あるいは、艦橋や作戦室との対比として演出されただろう新聞社のセットの活気と雑然感もいい。
短期間での度重なる首相交代、大本営発表に迎合するマスメディア、景気浮揚の為なら必要悪も歓迎する庶民、ラストの瓦礫の街のイメージなどは2011年の現代時評となっている。
しかしドラマは概して役者の表情演技に偏重しすぎであり、特に香川照之のエキセントリックな芝居などは噴飯ものだ。これにOKを出す監督とは何なのか。
そして山本=悲運の平和主義者的スタンスも、私人としての「人間性」に重点を置くスタイルも、過去の映画・ドラマで既出であり「70年目の真実」と呼ぶべき新鮮味は何も無い。
ヒトラーの著書を引き合いに、「大元をたどれ」という割には日中戦争無視も相変わらずであり、昭和戦争史としても山本の人物史としても肝心部分が不備だ。
新たな視点というなら、せめて海軍航空隊による上海その他への無差別爆撃くらいは言及したらどうなのか。
「(勝てない対米)開戦に反対」し、(勝てると誤算した)対中国戦争には積極的に加担する。
その両面を描かなければ山本の「合理的思考」なるものや人間性は正確には伝わらない。
山本=反戦・平和主義といった誤解を相も変わらず助長させていくこととなる。
清濁・正邪・賢愚を出来る限り多面的に取捨していかななければ、「人間描写」とはいえまい。愛人関係まで描いたテレビドラマ版よりも劣るとは、それでも映画か。
真珠湾の宣戦布告・ミッドウェイの換装問題に対する弁明的脚本も実にせこく嫌らしい。