1.《ネタバレ》 ここへ来て皆さんのレビューを見て感じたのは自分には映画を楽しむために必要なものが欠けていて、逆に余分なものが随分ついてしまっていると感じました。必要なものというのは、この映画を見て楽しむ前提となるような様々な素養。逆に、余分なものとは、毎朝のドラマ等による濃すぎるユーモア、笑いへの慣れ。
というわけで、ほとんど楽しめない自分への自己嫌悪のみの2時間弱でした。(映画館で自分と同席した人たちも、ほとんど笑い声が聞こえなかったことや、終了後のなんとも言えないため息から考えると自分と同じような感じだったのでは)
まず、一番楽しめる可能性があったエピソードは、新婚夫婦と娼婦のエピソード。3つのシチュエーション(娼婦に妻を装わせ、叔父たちやそのいかにも堅物そうな妻たちに対応しなければならない状態、自分がセクシーな娼婦を妻と偽って叔父たちと食事をしている場で、妻が有名俳優といかにも親しげに振る舞ってる状態、お互いにかなり真面目な夫婦が夫はセクシーな娼婦、妻は憧れの俳優の誘惑にさらされる状況)、全て笑いの感覚が低レベルになってしまってる自分には、物足りなくて。なぜ、娼婦はもっと奔放な言動をして、叔父たちを戸惑わせたり、その妻たちの顰蹙をかってくれない?あるいは、あやうく嘘がばれそうになるようなことを口走ってくれない? 何故、夫は大事な妻が有名俳優と、ものすごく親しげにしてるのに、そんなに落ち着いてるのか?もっとなんとかしようとしない?ひっくり返ってそれでお終い?何故、二人ともそんなに簡単に誘惑に落ちる?
いかにも落ちそうでぎりぎり踏みとどまってくれないと面白くもなんともないじゃないか。
こんな低レベルの欲求不満をもってしまうのって駄目ですね、本当に。
それから、ウディ・アレン演じるオペラ演出家と、すごく美声の葬儀屋のエピソード。まず、演出家の駄目さ加減がわかならいのは、正直自分の素養の無さなんでしょう。あとシャワーを浴びてる時だけすごい美声なので、オペラの真ん中でシャワーを浴びながらおベラを演じさせるというのは、何回も何回も引きずって楽しめるほど面白いユーモアなんでしょうね、多分。突然有名になりちやほやされた男が、また無名に戻り物足りない思いをするという、エピソード、これに「世にも奇妙な物語」的な意外な展開、意外な結末をどうしても求めてしまう、自分の低俗さにもうんざりです。