2.《ネタバレ》 この映画を見てまず驚くのは、台詞のある女優がほとんどいないことである。字幕に出るのは「もう無理 走れないわ」という老婦人だけであり、ヒロイン役のいない怪獣映画など存在しうるのかという疑問を生じる。お父さんサービスのお色気場面もないので児童映画としてまことに健全ではあるが、しかし余計な要素を削ぎ落したようないわば機能主義の怪獣映画よりも、自分としてはやはり万人の娯楽を目指した和製特撮の方に共感せざるを得ない。確かに当時の怪獣映画としてはいい出来だとは思うが、そのような理由で味気なく感じられるのが基本的な難点に思われた。
一方でこの映画を見て気づくのは、都市破壊場面で瓦礫の下敷きになる者が多いことである。これが結構真に迫っていて、思わず“わっ危ない”と言いたくなる場面が多い。第二次大戦の記憶が各国でどう違うのかよくわからないが、日本の「ゴジラ」などでは米軍の空襲で火の海になる東京がイメージされているのに対し、ロンドン市民にとっては爆撃やV2号の着弾などで堅牢な建物が倒壊するイメージの方が強かったのだとすれば興味深い。まあそれは火を吐かない怪獣だからという面もあるだろうが(火を吐くなら見世物にはできない)、何にせよ逃げ惑う群衆の描写に迫力を感じる映画だった。
また、同じ監督の別映画で最後に怪獣が死んだことに関し、監督の娘が「パパは良い怪獣を死なせた」と言って泣いていたのを教訓にして、この映画はハッピーエンドにしたという話は少々涙を誘うものがある。これが後に家族愛を謳う感動作「大巨獣ガッパ」(1967)の製作にもつながった?のであり、わが国怪獣映画の発展?にも貢献したという意味で大きな意義が認められなくもない。