3.《ネタバレ》 僕が見た限りでは、多くの映画作品の中には、「本当は死にたがっているのに『生きる事』を語る振りをしている」ようなもの、または「作品自体は『閉じた世界』を志向しているのに口先では『開いた世界』を語っているように見える」ようなものがあると思うのですが、その点このまどマギ劇場版に関しては、最初から「閉じた世界」を志向していることを明確に看板に掲げているだけ、そういった作品群より誠実だと思えました。ただし、そういった「閉じた(完結した)世界」の甘美さで観客に訴えかけようとすることによって、場合によっては観客もまたその「閉じた世界」の虜になってしまうのではないかという警戒心も感じるのですが。そしてこの作品に関しては、その「閉じた世界」の構築が極めて巧妙かつ魅力的になされているだけに、なおさらそう感じるのです。
個人的な話になってしまいますが、そのような「甘美さ」をここでことさら指摘するのも、恐らく僕自身が心の奥底ではそういう「閉じた世界の甘美さ」が大好きで、少しでも気を許したら自分自身がそのような世界にいつまでも中毒的に耽溺したがってしまうからなのだろうと思います。そんな自分にとってこの『叛逆の物語』は、はっきり言って「僕自身が一番見てはいけない類のもの」だと思わせる作品です。
細かい設定に関しては正直言って僕の中で消化しきれなかった部分があるものの、少なくとも作品に存在する感情面に関しては、ある程度受け止める事ができたのではないかと思っています。TV版の時もそうでしたが、この作品のベースにあるものは「報われなかった願い」や「優しさへの希求」を基調としたある種の渇望感であり、それに対する「自己犠牲」を基調とした甘美極まりない(言ってしまうと現実離れした)「善意」であり「思いやり」です。そしてそれらの要素に加えて、最後までその願望が完全に報われることの無いほむらという少女の個人的な渇望感が強烈に観客に焼き付けられるために、余計に劇中に存在する、まどかという少女に象徴される「優しさ」への渇望感もまた掻き立てられるのです。見当違いな例えである可能性を認めたうえであえて僕の感じた通りのことを言わせてもらうなら、それはちょうど劇中存在する「円環の理」という表現と対応するかのように、「優しさ・甘美さ」と「それへの渇望感」がまさに円環構造をなしているように見えます。
ここまで独特な世界を構築したその手腕は本当に凄いと率直に思うものの、見る者にただただ強烈な「渇望感」を植え付け、その上で「閉じた・完結した世界」を見せつけるその手法に関しては、僕は素直にそれを受け入れる気にはなれません。はっきり言って製作者の意図を測りかねる部分もあるのですが、少なくとも僕自身は、劇中ほむらが選択したような円環的な「閉じた世界」に留まっていたところで、結局どこにも行く事はできないと思うからです。自分自身とても楽しめたという事実と、その「甘さ」に耽溺してはいけないという警戒心と自戒の双方を込めて、この点数とさせてもらいました。