3.《ネタバレ》 債務者中心エピソードとウシジマ中心エピソードを交互に出してくる実写化シリーズですが、本作はウシジマ中心エピソードでした。度を越した貧困ビジネスやヤクザ者同士の抗争といったテーマはもはや一般人とは無縁の世界であり、『闇金ウシジマ君』というコンテンツそのものの魅力とは一線を画す内容で、多少のガッカリ感がありました。
また、本作はウシジマのルーツを描くという触れ込みであり、確かに中学時代のウシジマのエピソードは描かれるのですが、中学生の時点で現在に繋がるウシジマの人格はすでに完成した状態にあり、結局、ウシジマを作り上げたものとは何だったのかが分からないという点でもガッカリでした。両親との別離や転校など、要所要所にウシジマ少年の人格に影響を与えたと思われるキーワードは登場するものの、それらは回想の時点ですでに過去の話であり、具体的に描かれることはありませんでした。
今回の敵となる鰐戸三兄弟のキャラ造形も雑。策士タイプの長男と狂犬タイプの三男に挟まれた二男がほぼ存在意義を失っているし、完全にキレた人間として描かれる三男はともかく、頭が良く大局的な視点を持っている長男までもがウシジマに対して中学時代からのパラノイア的な逆恨みを引きずっているという点も、設定間で内部矛盾を起こしているように感じました。
また、これは6年間続いた長期シリーズならではの問題なのですが、キャラクター達の設定年齢と演じる役者の実年齢に乖離が生じており、一部に違和感がありました。テレビシリーズ第一弾から見ており、例えば劇中頻繁に登場する携帯電話がシリーズの進行とともに新しくなっている様からも、現実の時間経過と同じだけ登場人物達は歳をとっているものと思い込んできた私としては、ウシジマや江崎が依然として24歳であり(本作公開時点で山田孝之は33歳、やべきょうすけは43歳)、しかも高橋メアリージュン(本作公開時点で29歳)演じる犀原茜と同世代という点は、さすがに無理ありすぎでした。そこは設定年齢を山田の実年齢に合わせ、実写版オリジナルキャラである犀原は彼らよりも下の年代であるということにしてもよかったと思います。
上記の通り不満点を書いてきましたが、良かった点もあります。力なき善意で他人を救おうとする竹本と、お金という必要な手段は与えるが、部外者である自分が関与するのは元本と利息が返済されるかどうかのみであり、そこから這い上がるか落ちぶれていくかは当人次第との姿勢を貫くウシジマ。この対比が面白いのです。
困っている人を無償で助けてやれば確かに当人は喜ぶだろうが、対症療法的な解決には問題の本質を覆い隠すという副作用があり、その人はまた同じことで躓く。転んだ都度助ければそのうち依存体質が身に付き、自力で立ち上がれない人間になってしまう。しかし救済者側の体力にも限界があって無限に人助けなどできないのだから、いつか共倒れになる日がやってくる。竹本の善意や自己犠牲の精神は本物ではあるものの、「救済者側の体力」と「救われる側の自立」がまるで考慮されていないため、本当の意味で人を救える力にはなりえていません。
他方、ウシジマは徹底的にドライ。貸した金さえ返ってくれば正しい使い道かどうかは関係なく、どんな債務者にも公平に接するのですが、同情すべき背景のある債務者ほどウシジマを非情であると非難します。彼らの主張を要約すると「自分を特別扱いしろ」なのですが、ウシジマも非営利ではやっていない以上、どこかで債権を回収しなければならないし、同情すべき背景のある債務者を免責して取りっぱぐれた分は自業自得の債務者の利息に上乗せするなんてことになれば、問題は余計にややこしくなります。債務者は公平に扱い、その私情には一切立ち入らない。それこそが闇金家業を営むウシジマなりの倫理観なのです。
竹本とウシジマは対立した後、力なき竹本が倒れて終わりとなります。ここでウシジマは親友である竹本にも一切の手加減なく死亡するまでの肉体労働を課すのですが、これもまた他の債務者との公平性を図るウシジマならではの倫理観だったと言えます。ただし、車を一瞬止めさせ、竹本を特別扱いして連れ帰るかどうかの葛藤を垣間見せる辺りの演出がうまく、ここで竹本の主張がウシジマにも届いていたことが分かるため、見ている私の心も揺さぶられました。