1.何事にも「最初」というものはある訳だが、アポロ計画がもの凄く綱渡りな計画だったことが良く分かるドキュメンタリーだった。かなり場当たり的な一発勝負をいくつもクリアしてアームストロング氏は月に降り立ったという印象。結果から振り返ると、当時の科学力・技術力で、よく月まで行けたものだというのが実感である。様々な問題を当時の人智を結集して解決し、命の危険を顧みずに達成されたこの事業は、まさに偉業と言える。■ちょっとレビューから逸れます。人はなぜ月を目指したのか。その意義がはっきりと定義されないと、ギネス記録のひとつで終わる。アポロ計画までは驀進していた宇宙開発が、以降40年近くの月日が経過するなかで順調に進んで来たかと云うと、まさにロケットから自転車に乗り換えたようにペースダウンしている印象である。アメリカでは、ロケットを飛ばす金があるなら福祉に回せという世論もあるようだ。月への到達によって児戯に等しかった米ソの競争に決着が付いたからといって、この事業のアクセルが緩められたことはとても残念だし、その原因は先述した事業意義の定義が曖昧だったことも一因だと考える。カール・セーガン氏が30年以上前の著書「コスモス」(←TVでドキュメンタリーにもなりました)の中で、宇宙開発予算に関して触れています。当時、米ソの予算の10年分が原子力潜水艦1~2隻と同額だと氏は嘆いている。現在はどうか? NASAの予算が1兆6000億円、それに対し米国の軍事予算が約63兆円(1$=100円で換算)。米国に関して云うと、軍事費1年分でNASAの40年分が賄える。よその国のことながら、何か間違っていないか? 「コスモス」のなかで、カール・セーガン氏は言う。「私たちは死の為ではなく、生のための事業にエネルギーを注ぎ込むべきである」■このドキュメンタリーは見応えがありました。でも、過去の計画を振り返り、その偉業を褒め称えるより、具体的に未来に向いた視線が欲しかった。ちなみに日本の宇宙開発予算は1925億円。その方面の事業に使われるなら、宇宙開発税が新設されても私は文句を言いません。