1.はっきり言って、非常に感想の表現が難しい。
とてつもなく深遠な映画のようにも思うし、至極退屈で浅はかな映画のようにも思える。
監督自身が“鬱病”を患い、その自身の内情をそのまま映し出したかのような“悪い夢”のような映画だった。
自分自身の中に「鬱」がまったく存在しないのなら、何の迷いも無くこき下ろすことができたのかもしれない。
しかし、世の中の大部分の人がそうであるように、現代人のはしくれとして、自分の中の「鬱」と寄り添い折り合いをつけながら何とか生きてきた者としては、この映画が描き出す“果てしない憂鬱”を無視することなど出来るはずもなく、ただただどう向き合っていいものかと呆然としてしまった。
荘厳な終末感を描いた後半に対して、ただただグダグダな結婚式の模様を描いた前半が退屈過ぎるという評が多いようだが、僕はむしろ、幸せな風に見えた結婚式が徐々に確実に破綻してく様を描いた前半の方に、よりこの監督独特のおぞましさが溢れていたと思った。
冒頭の地球滅亡シーンは、恐ろしいまでに美しく、圧倒的な光景を見せてくれる。
ただそれよりも印象強く残ったことは、何と言っても主演女優の表現力だ。キルスティン•ダンストのパフォーマンスが物凄い。
映画は、彼女の恐ろし過ぎる表情を画面いっぱいに映し出して始まる。その表情には、実は怒りを伴っていないということに、殊更の恐怖を覚えた。
監督のラース•フォン•トリアーは、主演した女優の潜在能力を限界以上に引き出すことを強いる過酷な映画作りで有名だが、今作においてもその特徴は遺憾なく発揮されたようだ。
その“強要”に応えた若き実力派女優はやはり本物で、見事だった。
と、あらゆる側面で印象深い映画であったことは間違いない。ただ、だからと言ってイコール「面白い映画」だと断言できないのが映画の難しいところだろう。
結局、詰まるところ最初に記した感想に尽き、語弊を覚悟で表現するならば「鬱病患者の夢」のような映画だ。
非常に魅力的で興味を引かれるテーマではあるが、「他人の夢の話ほど、実際聞いてみてつまらないものはない」ということなのかもしれない。