1.《ネタバレ》 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が流行った頃というのは私はまだ義務教育の時分、私の仲間内ではあの作品は中々ホットな話題になったものだった。当時は(特に子供にとっては)まだネットの情報のスピード感は現在には遠く及ばず、映画も観ただけでは訳が分からなかったが、ご丁寧に解説本を手に入れた輩が居て、あーだこーだと大いに盛り上がったのを覚えている。
今作も宣伝手法的に『ブレア~』に似たような作品かと思ったが、明確に異なるのは、今作が部分的にドキュメンタリであること、そして、問題の映像というのが最初から「映画=つくりもの」であると明言されていることだ。当然フェイクだと分かってはいるものの、では一体どういう映像を持ってくるのか、という興味のもと足を運んだ。
お膳立て抜きにその映画の内容だけを言うと、雰囲気系のホラーというか、ひたすら思わせぶりで意味ありげなんだけど、結局これが何なのか、どういう意味なのかは判然とせず、ただただ不可解で不気味、という感じの作品である。『ブレア~』も似た様なものだったとも言えるが、今作の不気味さ(+それが催す不安)は、決して一顧だにせず凡作と斬って捨てることの出来るものでもなく、ある程度の観る価値がある映像だと思う。
今作はある種「フェイクだと思ってない客」向けの極めて正統派なフェイクだとも思う。「フェイクだと分かってて冷やかし半分で来る客」が喜びそうな分かり易い仕掛けや演出、あとメタな展開とかは皆無に近い。その意味でいうと、観て分かった今作と『ブレア~』との決定的な違いは、今作は映画単体として完結してしまっている点である(=オーラスに「この映画は、どうもこういうことだったらしい」的な説明が入るのだ)。最初に述べたとおり、どういう意味だったかというのはこの場合、映画の「外」から来る方が絶対に楽しめると思っている。『ブレア~』当時との環境の違いもあるとはいえ、今作についてはそこが少し残念に思われる。
ネットが氾濫した現代において、この手の「不要な情報をシャットアウトさせたい」コンテンツには限界があるということなのだろう(今作について、もし鑑賞後にネットで調べたなら、フェイクだクソだの非難轟々がイの一番にヒットするのだから)。いち映画ファンとしては「映画は事前情報を入れずに観ろ」が新たな絶対的鉄則となってゆくのかも知れない(事前情報を入れて観て、良かったことなど殆ど無いし)。