1.《ネタバレ》 ※今回は作品単体、というよりはシリーズの総括という感じで確認下さいませ。
参考書籍は杉作J太郎/植地毅氏の「不良番長・浪漫アルバム」【徳間書店】
(これ数ある「浪漫アルバム」シリーズの中でも結構名著と思います)
・東映ピンキー・バイオレンスにはまり、ポルノ映画館に通い詰めだった若き日の私。
お目当ての同時上映がだいたい決まってこのシリーズ。
4年間に16本、というどんだけ作品出してんだよ!もういいよカポネ団!
自分も何が何作目でどんな話かもうさっぱり。思わず苦情言った事がある。
「興行的に時間つぶしになるし、単純に面白いし、何よりフィルムの上映料が安い!」
とは映画館側の返事。ハァ、市場経済の中では優良なコンテンツなんですなぁ。
・映画館上映のすき間を埋める為に東映社長岡田茂が指示したのは
なにしろ低予算。プロデューサー吉田達に指示し当時の製作費としては
最低レベル。監督も外注ではなく、この作品が初監督作となる野田幸男。
関西出身の野田監督「谷岡ヤスジの様にメチャクチャにしますよ〜」。
上映当初は不評だったものの、観客にそのハチャメチャさが受けて
社長岡田もその流れに乗った。で4年間に16作。
・私にとっての名作「0課の女・赤い手錠」('74)の監督でもある野田監督。
ただ結局若くして亡くなられた為(97年、62才で逝去は若すぎる)、
話を聞く機会は無かったが、先輩の石井輝男が良く講演会、上映ゲストで
話してたのは「野田ちゃんは、あの作品で時流に乗った」という事。
60年代後半の学生運動の高まり+邦画の斜陽化によるエログロ路線への移行、
そして野田監督の才気が生み出したエネルギーによる賜物であった、
てな話なのでしょう。
【ただ石井監督は「会社のコマ」になってしまった野田監督が
後年細かすぎるカット割りや予算を越えた映画作り=作家性追及
の結果、岡田茂社長=東映から追い出された事も話しており
収益性と芸術、両立の難しさも語っていたのが印象的でした】
・撮影時のエピソードは上記の「~浪漫アルバム」に記載されてますが、
もう凄すぎですな、こりゃ。神坂弘=生前の辰兄ぃのインタビューも
記載されてますが、「(共演者たちに)撮影開始の時間だけは守らせた
=開始までは遊んでも良いと認識してた」「女性にはもう飽きた」
文脈の裏にはどんだけトンデモない事実があったか、という事ですよね。
でもそんな作歴を「誇りに思う」という辰兄ぃだったからこそ、
ダウンタウンの突っ込みを平然と受け、ロバート秋山の物まねも許容してた。
「映画というのはあくまでも娯楽である」という事を徹底したこのシリーズ、
いちいち突っ込むのは野暮。とことん楽しもう。 駄文失礼しました。