1.東洋人にあちらが感じている「表情の読めない冷たさ」の行き着く先は、やはり「冷酷な悪人」で、本作で完成したってところか。自分の持ち物にトリイの焼印を押す金貸しの日本人が、借金のカタに人妻を誘惑し背に焼印を押しちゃうんだもん。東洋美術もすべて陰気な気分に導く道具となる。こんなころはまだアメリカの東洋人はみんなビンボーだと思ってたんだけど、金貸しをするような人物も生まれていたのか。少なくとも映画に登場させても不自然ではない設定だったのか。黄禍論てのは低賃金労働者がたくさん入り込んできて社会の混乱を招くってところから生じたんでしょ、あるいは未来にはこう東洋人に金を借りるようになるかも知れんぞという不安のイメージだったのかな。そういう設定でありながら「悪の魅力」ってのが雪洲にあるのが映画の不思議なところ。それは認めても、やはり異邦の人間への警戒感に乗った話で、群衆が激昂し正義に燃えて雪洲に詰めていくあたりは、後味悪い。別にこちらが日本人ってことと関係なく、興奮する正義とそれを肯定する雰囲気ってものが気色悪い。