2.《ネタバレ》 ブラジル映画である。場所はサッカーチームの名前や警察(サンパウロ文民警察)からして同国第一の大都会サンパウロである。Vila Gustavoという地名は主に中流層の住宅地だそうで、犯罪集団のボスがこの名前を聞いて怪訝な顔をしたのは、対立勢力の居場所として不自然だからと思われる。
最初は面白い設定で始まったと思ったが、結局最後は普通一般の心霊ホラーに移行してしまった感がある。死体と話せることの背景設定として、いわゆる霊魂というものが死後に身体を離れるのでなく、キリスト教でいう「最後の審判」までは遺体にとどまったまま墓にいる、という考え方ならユニークだと思ったが、劇中妻が家にまで押しかけて来たからにはそうでもないということか。あるいは墓にいられず神の世界にも行けない連中が、終幕時に外を歩いていたという意味か。
また「マーク」したのが誰かの説明はなかったが、少なくとも家族殺しを許さないのが神だというからには、キリスト教の神様がこの映画での行動主体として存在していたはずである。一方で序盤から神と悪魔について語る声が聞こえたり、TVの悪魔祓いを映したりして悪魔の存在を匂わせた上で、神がいるなら悪魔もいる、とまで言わせたからには悪魔も存在しなければ変なはずだが、悪魔の関与を明瞭にする場面は最後までなかったように見えた。例えば劇中の出来事を神と悪魔が分担していて、神が家族殺しの罪で主人公を見放してしまい、そこに悪魔が付け込んで破滅させようとしたのなら、劇中妻だけが極悪人であるかのように思わなくていいかと思ったが、そのように確信できる証拠もない。本来はそれなりに子のことを思っていたはずの母親(自分の無惨な姿を見せるなと言っていた)も死後に変わってしまったのなら残念だ。
なお題名に関して、原題は意外にも「死体は語らない」という意味である(nãoはnot)。これも例えば死体が話すように見せておいて、実は悪魔や神が話していたというなら間違っていないわけだが、実際はそうとも言えない場面が多かった。ただ少なくとも、全部が主人公の妄想だったというのはこの映画としてありえない。
そのようなことで、どのように筋を通そうとしているのかわからない映画だったが雰囲気は悪くない。最後に子どもらと一緒に助かった人物は最初から清楚系に見えたが、実際に信仰心の篤い真面目な人だったらしい。それにしても神だの悪魔だのと無関係にやたらに人が死ぬお国柄のようだったので、渡航時には十分注意してください。