35.《ネタバレ》 作品の核となる最大のギミックは壁の後ろにラッセルが隠れていた事と犯人達が人質に紛れ込んでしまうという2つだと思います。
ラッセルが冒頭に計画に自信があると言っていましたが冷静に考えてもギャンブル的な要素が大き過ぎます。
357マグナムが本物であったとしても他がモデルガンだったら初動の段階で警備員に撃たれていたかもしれませんし、肌と髪の色、体格、性別、壊れる前の防犯カメラの映像、顔見知りの行員は内通者の可能性はあっても押し入ってきた4人から除外できればかなり絞り込めるはずですし、身元は全員はっきりしているので事件後の追跡調査を地道にやっていれば犯人に辿り着ける可能性は有ると思います。
何も盗られていなくても警察が一番重要としている面子を守る為でしたらその位の事はやっても普通だと思います。
切り札となるナチの秘密書類もケイスとの取引材料に過ぎず、警察から逃れるものでは有りません。
ラッセルに接触した人物が2人いますがホワイトはナチの書類を表沙汰にはしたくないので積極的に協力はしないと思いますが、刑事のフレイジャーがあれだけラッセルと話したり取っ組み合ったりしているので人質・容疑者グループにラッセルがいない事は直ぐに分かると思います。
そうなれば建物内に彼が残っているという事は勉強嫌いの小学生でも理解できます。
監督はスパイク・リー、出演者はビッグネーム揃い、映像はしっかりと撮られています。
これだけのものを揃えても脆弱な設定と脚本をフォローしきるのは難しかったようです。
また、貸し金庫の中身をナチの書類にした事や監督のいつもの人種問題を絡ました演出が作品を少し重たいものにしようとして返って迷走させています。
ナチの書類ではなく買収した政治家のリスト程度にして、人種問題等も極力抑えてスパイク・リー色を払拭した方が丁度良い軽さになって見易くなったと思いますし、本作はその位の娯楽作品に落とし所を見つけた方がすっきりとして良かったと思います。
スパイク・リーも割り切って撮った方がこの程度の娯楽作品に無理やりねじ込んだ人種問題等で中途半端に仕上がった印象を後世に残す事は彼の為にも良くないかと思いますし、前述した設定の甘さ等も目くじらを立てる程にならずに観客にとっても良かったのではないかと思いました。
作品の質を上げようとして色々と画策しても肝心の脚本や設定が追いつかない結果になってしまっています。
フレイジャーがケイスにダイヤの指輪を見せる時に中指にはめて指をおっ立ててるカットは良かったですが、私にとってはオープニングのミクスチャートライバルの音楽の使い方のカッコ良さで終了してしまった感じです。