2.《ネタバレ》 今だからこそ中島監督は日本映画監督陣の中でも特異な立ち位置にいる監督ですが、
その根底には「映画」に対するしっかりとした「理解」と「情熱」がこの頃既に出来上がっていたのだと感じました。
物語は逆上がりが出来ない主人公のたかしの「何故」を描いた映画。
作中では彼が生活の中のあらゆる物事、あるいは自身の感情に疑問を抱く事こそがテーマの話です。
そんな様々な疑問の中で本作の主軸となるのが
「大人になるとはどういうこと?」という疑問です。
その事をたけしに諭す登場人物として2人の人物が登場します。
一人は学校の先生。この先生は大人になる事をいわゆる社会の常識で語ろうとする役柄です。
一人はたけしの父。父は子供時代をひきずり「大人も分からない事しちゃうんだ」とたけしに言う役柄です。
もっと単純に比較すると、
大人と子供は違うんだ!と説く先生
大人と子供は変わんないよ!と説く父ちゃん
そのような2つの考えが作中で対峙します。
そして本作の結論は後者に傾きます。
何故ならたけしはいつの間に逆上がりが出来たから。
何故なら父ちゃんも母ちゃんも子供の頃から地続きで
今もあらゆる「何故」を引きずりながら生きているからです。
そして巨乳派なたけしが何故貧乳のともこが好きなんだろうと疑問を持った時、たけしはまた一つ大人の階段を上がります。
大人になるという事は「何故」の積み重ねである事、
そこにはゴールが無い事を本作は教えてくれるのです。
さらに個人的には小品ながらも中島監督らしい個性も垣間見る事が出来、
また今の中島監督があまり表には出さない表現方法も観る事が出来ました。
まず現在の中島監督の作風と大きく違うのはカメラワークだと思います。
遠巻きで、しかも中心から少しずらした所に登場人物を配した草原のシーンがあるかと思えば、
古い家屋に少女が座り込むシーンはシンメトリーだったりと、
地味なんだけど、しっかりとその場の情景で、
美しいシーンを押さえている印象を受けました。
今の中島監督の画とはまた違う面白さがあります。
あえて苦言を書くと物語の本筋を解説で済ませてしまうのは、
中島監督の常套手段とはいえ不満が残りました。