8.《ネタバレ》 ”娯楽映画としての展開力の稚拙さ、それに伴う絶対的なエモーションの欠如。それが今作の最大の敗因”
と、前作「マン・オブ・スティール」を批判した。
前作の不満足感が経験値としてあったため、これだけのビッグタイトルでありながら期待感は上がりきらなかった。
バットマン役にベン・アフレックが起用されたことも、不安感を煽った。ベン・アフレック自体は決して嫌いな俳優じゃないけれど、彼のあの不穏げな眼差しからは、とてもじゃないが高揚感が先行するヒーロー像が生まれないことは明らかだった。
そして、結果的には、ある意味予想通りの映画だったと言える。
むしろ不安視した部分が予想通りだったからこそ、変に期待ハズレ感が先立つこともなく、逆に楽しむべきところは楽しめたとも言える。
前作がああいう映画であったのだから、描き出す世界観の方向性が変わらなかったことは、個人的な好き嫌いは別にして真っ当なことだったと思う。
娯楽映画らしいエンターテイメント性や、スーパーヒーロー映画らしいエモーションなどは、もはや意識的に排除されている。
前作においては、絶体絶命の危機に陥ったヒロインや市井の人々を、スーパーマンが救出するシーンが無いことに大いに不満を覚えた。
今作ではそういうシーンはあるにはあった。しかしその時のスーパーマンの表情は精神的な苦悶に満ちていて、シーンそのものが高揚感とは程遠い悲愴感に溢れかえっていた。
ただしそれは、監督のザック・スナイダーが思い描いた通りの世界観であり、彼は前作から一貫して自分が表現したいビジュアルデザインを頑なに追求しているに過ぎない。
この監督の創造性は、いい意味でも悪い意味でもそれがすべてであり、仕事ぶりとして間違ってはいないと思う。
問題視するとすれば、それはやはり、これほどのビッグプロジェクトを構築していくにあたって、その礎となるべきこの連作を、ビジュアルセンスに優れた監督一人に任せっぱなしにしまっている「企画」としての稚拙さに他ならないと思う。
ビジュアル的な拘りが際立つとともに、企画そのもののセンスの無さが目に余ってくる。
言わずもがなこの「企画」が目指す終着点は、DCコミックのスーパーヒーローチーム「ジャスティス・リーグ」の映画化である。
勿論、ライバル視しているのは、マーベルコミックの「アベンジャーズ」であり、その映画化の大成功があったからこその企画発足であったことは言うまでもない。
そのあまりにも確かな”お手本”があったにも関わらず、今シリーズはストーリーテリングがあまりに巧くない。
今作で登場した“ワンダー・ガール”の活躍は、二大ヒーロー同士の陰鬱な(そしてあまり意味のない)鬩ぎ合いが続く今作において殆ど唯一の“胸熱”ポイントだったが、この先のジャスティス・リーグの中核となるキャラクターである以上、しっかりと単体作品を経てから登場して欲しかった。
マーベルがそうしたように、このプロジェクト全体を“チーム”として動かし、ストーリーを練りあげていかなければ、いくら元祖スーパースターの代表格であるスーパーマンとバットマンが並び立ったとしても、狡猾なアイアンマン率いるアベンジャーズとは勝負にならないと思う。
前述した通り、全く楽しむべき要素がなかったとは思わない。
イスラエル人女優ガル・ガドット(ジゼル!)演じるワンダー・ウーマンのまさに神的な美貌と活躍は勿論、ジェシー・アイゼンバーグのレックス・ルーサーぶりも狂気的で良かったと思う。ザック・スナイダーのビジュアルセンスと画面構成力はやはりずば抜けている。
個人的に古今東西の“ヒーロー大集合もの”は大好物なので、「ジャスティス・リーグ」についても、何としても実現・成功してほしいと思っている。
が、今一度DCコミックという“チーム”の総力を集結させて、企画そのものをブラッシュアップしていかなければ、ブルース・ウェインが夢で見た“未来”そのものが無くなってしまうぞ。