2.明らかに『突然炎のごとく』と似た作風である。
『突然炎のごとく』は感情移入が全くできず、数多く観てきたトリュフォー作品の中でも苦手な作品となってしまったが、本作はそれほど違和感は感じなかった。
しかし主人公が、ここまで姉妹にこだわり続ける男にしては、かなり軽薄であり、その辺も腑におちない。
そしてまた、ジャン=ピエール・レオは名優だが、この作品の主人公としては適役でない気がする。
彼にはもっとガキっぽくて、舌っ足らずな少年(風)が似合うからだ。
卒のないストーリー運びと、尺の長さから、かなり王道なフランス恋愛映画と感じはしたが、トリュフォーにはもっと別の魅力があると思う。
それは、“遊び”を使った軽妙な喜劇、もしくはヌーヴェルヴァーグ全開の馬鹿げた恋愛こばなしとか。
本作のような、王道をいくフランス恋愛映画のような作品では、トリュフォーの魅力は十分には感じることはできなかった。
それと、トリュフォーならではの、体のパーツ、もっと具体的に言えば「足」に対するこだわりが影を潜めてしまっている。
どこか偏執的でマニアックな感じのする捻じ曲がった恋愛映画なんかを撮らせると、天才的な力を発揮する監督だけに、こういった重厚な音楽が背景に流れるような、美しさが前面に出た恋愛映画は向いてないんじゃなかろうか。
トリュフォー作品の鑑賞数も22本となり、未見の作品はほとんどなくなった。
トリュフォーは、男女を描きつつも、多様な作品に挑戦した監督であった。
トリュフォーを好きな映画ファンが、一番好きなトリュフォー作品を挙げると、それぞれが結構違った作品を挙げたりすることが多いが、それだけトリュフォーという映画作家が、奥行きが広く、チャレンジ精神が旺盛な監督だったということを、伺い知ることができよう。